維摩経 / 菩薩品第四(5)
樂忍辱柔和。樂勤集善根。樂禪定不亂。樂離垢明慧。樂廣菩提心。樂降伏眾魔。樂斷諸煩惱。樂淨佛國土。樂成就相好故修諸功德。樂嚴道場。樂聞深法不畏。樂三脫門不樂非時。樂近同學。樂於非同學中心無恚礙。樂將護惡知識。樂親近善知識。樂心喜清淨。樂修無量道品之法。是為菩薩法樂。於是波旬告諸女言。我欲與汝俱還天宮。諸女言。以我等與此居士。有法樂我等甚樂。不復樂五欲樂也。魔言。居士可捨此女。一切所有施於彼者。是為菩薩。維摩詰言。我已捨矣。汝便將去。令一切眾生得法願具足。於是諸女問維摩詰。我等云何止於魔宮。維摩詰言。諸姊有法門名無盡燈。汝等當學。無盡燈者。譬如一燈燃百千燈。冥者皆明。明終不盡。如是諸姊。夫一菩薩開導百千眾生。令發阿耨多羅三藐三菩提心。於其道意亦不滅盡。隨所說法而自增益一切善法。是名無盡燈也。汝等雖住魔宮。以是無盡燈。令無數天子天女發阿耨多羅三藐三菩提心者。為報佛恩。亦大饒益一切眾生。爾時天女。頭面禮維摩詰足。隨魔還宮忽然不現。世尊。維摩詰有如是自在神力智慧辯才。故我不任詣彼問疾。
新字:楽忍辱柔和。楽勤集善根。楽禅定不乱。楽離垢明慧。楽広菩提心。楽降伏衆魔。楽断諸煩悩。楽浄仏国土。楽成就相好故修諸功徳。楽厳道場。楽聞深法不畏。楽三脱門不楽非時。楽近同学。楽於非同学中心無恚礙。楽将護悪知識。楽親近善知識。楽心喜清浄。楽修無量道品之法。是為菩薩法楽。於是波旬告諸女言。我欲与汝倶還天宮。諸女言。以我等与此居士。有法楽我等甚楽。不復楽五欲楽也。魔言。居士可捨此女。一切所有施於彼者。是為菩薩。維摩詰言。我已捨矣。汝便将去。令一切衆生得法願具足。於是諸女問維摩詰。我等云何止於魔宮。維摩詰言。諸姊有法門名無尽灯。汝等当学。無尽灯者。譬如一灯燃百千灯。冥者皆明。明終不尽。如是諸姊。夫一菩薩開導百千衆生。令発阿耨多羅三藐三菩提心。於其道意亦不滅尽。随所説法而自增益一切善法。是名無尽灯也。汝等雖住魔宮。以是無尽灯。令無数天子天女発阿耨多羅三藐三菩提心者。為報仏恩。亦大饒益一切衆生。爾時天女。頭面礼維摩詰足。随魔還宮忽然不現。世尊。維摩詰有如是自在神力智慧弁才。故我不任詣彼問疾。
書き下し
忍辱柔和を楽しみ、勤めて善根を集むるを楽しみ、禅定不乱を楽しみ、垢を離れ慧を明らかにするを楽しみ、菩提心を広むるを楽しみ、衆魔を降伏するを楽しみ、諸の煩悩を断ずるを楽しみ、仏の国土を浄むるを楽しみ、相好を成就せんが為の故に諸の功徳を修するを楽しみ、道場を厳るを楽しみ、深法を聞きて畏れざるを楽しみ、三脱門を楽しみて非時を楽しまず、同学に近づくを楽しみ、同学に非ざる中に於いて心に恚礙無きを楽しみ、悪知識を将護するを楽しみ、善知識に親近するを楽しみ、心の喜び清浄なるを楽しみ、無量の道品の法を修するを楽しむ。是れを菩薩の法楽と為す』と。是に於いて波旬、諸の女に告ぐ、『我れ汝と俱に天宮に還らんと欲す』と。諸の女言わく、『我らを以て此の居士に与えたり。法楽有りて我ら甚だ楽しむ。復た五欲の楽を楽しまず』と。魔言わく、『居士、此の女を捨つべし。一切の所有を彼に施す者、是れを菩薩と為す』と。維摩詰言わく、『我れ已に捨てたり。汝便ち将い去れ。一切衆生をして法願具足することを得しめよ』と。是に於いて諸の女、維摩詰に問う、『我ら云何ぞ魔宮に止まらん』と。維摩詰言わく、『諸姊、法門有り、無尽灯と名づく。汝ら当に学ぶべし。無尽灯とは、譬えば一灯の百千の灯を燃やし、冥き者皆明らかなるが如し。明は終に尽きず。是の如し、諸姊。夫れ一菩薩、百千の衆生を開導して、阿耨多羅三藐三菩提心を発さしむるも、其の道意に於いても亦滅尽せず。説く所の法に随いて自ら一切の善法を増益す。是れを無尽灯と名づくるなり。汝ら魔宮に住すと雖も、是の無尽灯を以て、無数の天子天女をして阿耨多羅三藐三菩提心を発さしむる者は、仏恩に報いんが為にして、亦大いに一切衆生を饒益するなり』と。爾の時天女、頭面に維摩詰の足を礼し、魔に随いて宮に還り、忽然として現ぜず。世尊、維摩詰に是の如き自在の神力・智慧・弁才有り。故に我は彼に詣りて疾を問うに任せず」と。
現代語訳
耐え忍んでやわらぐことを楽しみ、努めて善の根を集めることを楽しみ、禅定を乱さないことを楽しみ、汚れを離れて智慧を明らかにすることを楽しみ、菩提心を広げることを楽しみ、多くの魔を降すことを楽しみ、もろもろの煩悩を断つことを楽しみ、仏の国土を清めることを楽しみ、すぐれた相好を成し遂げるためにさまざまな功徳を修めることを楽しみ、道場を荘厳することを楽しみ、深い法を聞いて恐れないことを楽しみ、三つの解脱の門を楽しんで時ならぬことを楽しまず、同じ道を学ぶ仲間に近づくことを楽しみ、同じ道を学ばない人に対しても心に怒りやさわりがないことを楽しみ、悪い友をも守り助けることを楽しみ、善い友に親しみ近づくことを楽しみ、心の喜びが清らかであることを楽しみ、無量の悟りへの修行の法を修めることを楽しみます。これが菩薩の法楽です。』そこで波旬は天女たちに告げました。『私はおまえたちと一緒に天の宮殿へ帰りたい。』天女たちは言いました。『私たちはこの居士に与えられました。法の楽しみがあって、私たちはとても楽しいのです。もう五欲の楽しみは楽しみません。』魔は言いました。『居士よ、この女性たちを手放してください。すべての持ち物を他の者に施す者、それが菩薩だからです。』維摩詰は言いました。『私はすでに手放しました。連れて行きなさい。すべての衆生が、法の願いを満たすことができますように。』そこで天女たちは維摩詰に尋ねました。『私たちは魔の宮殿で、どのように過ごせばよいのですか。』維摩詰は言いました。『姉妹たちよ、無尽灯という法門があります。あなたがたはこれを学びなさい。無尽灯とは、たとえば一つの灯火が百千の灯火に火を移し、暗かった所がみな明るくなるようなものです。明るさは決して尽きません。そのとおりです、姉妹たちよ。一人の菩薩が百千の衆生を導いて、阿耨多羅三藐三菩提を求める心を起こさせても、その人自身の道を求める心は少しも減りません。説いた法に従って、むしろ自分自身があらゆる善い法を増していきます。これを無尽灯と名づけます。あなたがたは魔の宮殿に住んでも、この無尽灯によって、数えきれない天子や天女に阿耨多羅三藐三菩提を求める心を起こさせるなら、それが仏の恩に報いることであり、またすべての衆生を大いに利益することになります。』そのとき天女たちは、頭を維摩詰の足につけて礼をし、魔に従って宮殿へ帰り、たちまち姿が見えなくなりました。世尊、維摩詰にはこのような自在の神通力と智慧と弁舌があります。それゆえ私は彼のもとへ見舞いに行くことに堪えません。」
解説

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維摩経・菩薩品第四(4)仏、持世菩薩に告げたまわく、「汝、行きて維摩詰に詣りて疾を問え」と。持世、仏に白して言さく、「世尊、我は彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに我れ昔、静室に住せり。時に魔波旬、万二千の天女を従え、帝釈の如き状にして鼓楽絃歌して我が所に来詣す。其の眷属と与に我が足に稽首し、合掌恭敬して一面に立つ。我が意に是れ帝釈なりと謂いて、之に語りて言わく、『善来、憍尸迦。福有るべしと雖も、当に自ら恣にすべからず。当に五欲は無常なりと観じて、以て善本を求むべし。身命財に於いて堅法を修せよ』と。即ち我に語りて言わく、『正士、是の万二千の天女を受けよ。掃灑に備うべし』と。我言わく、『憍尸迦、此の非法の物を以て、沙門釈子たる我に要むること無かれ。此れ我が宜しき所に非ず』と。言う所未だ訖らざる時、維摩詰来たりて我に謂いて言わく、『帝釈に非ざるなり。是れ魔の来たりて汝を嬈固するなるのみ』と。即ち魔に語りて言わく、『是の諸の女らは、以て我に与うべし。我が如きは応に受くべし』と。魔即ち驚き懼れて念う、維摩詰、将に我を悩ますこと無からんやと。形を隠して去らんと欲すれども隠すこと能わず。其の神力を尽くすも亦去ることを得ず。即ち空中の声を聞くに曰わく、『波旬、女を以て之に与えよ。乃ち去ることを得べし』と。魔、畏るるを以ての故に、俛仰して与う。爾の時維摩詰、諸の女に語りて言わく、『魔、汝らを以て我に与えたり。今、汝ら皆当に阿耨多羅三藐三菩提心を発すべし』と。即ち応ずる所に随いて為に法を説き、道意を発さしむ。復た言わく、『汝ら已に道意を発せり。法楽有りて以て自ら娯しむべし。復た五欲の楽を楽しむべからず』と。天女即ち問う、『何をか法楽と謂う』と。答えて言わく、『常に仏を信ずるを楽しみ、法を聴かんと欲するを楽しみ、衆を供養するを楽しみ、五欲を離るるを楽しみ、五陰を怨賊の如しと観ずるを楽しみ、四大を毒蛇の如しと観ずるを楽しみ、内入を空聚の如しと観ずるを楽しみ、道意を随護するを楽しみ、衆生を饒益するを楽しみ、師を敬養するを楽しみ、広く施を行ずるを楽しみ、堅く戒を持つを楽しむ。
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維摩経・菩薩品第四(7)衆生の縛を解きて修行地を起こし、相好及び浄仏土を具うるを以て福徳の業を起こし、一切衆生の心念を知りて応ずるが如く法を説きて智業を起こし、一切法の取らず捨てざるを知りて一相門に入り慧業を起こし、一切の煩悩・一切の障礙・一切の不善法を断じて一切の善業を起こし、以て一切の智慧・一切の善法を得て、一切の仏道を助くる法を起こす。是の如し、善男子。是れを法施の会と為す。若し菩薩、是の法施の会に住せば、大施主と為り、亦一切世間の福田と為る」と。世尊、維摩詰の是の法を説きし時、婆羅門衆の中の二百人、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。我れ時に心清浄を得て、未曾有なりと歎じ、維摩詰の足を稽首して礼し、即ち瓔珞の価直百千なるを解きて、以て之に上る。取ることを肯んぜず。我言わく、「居士、願わくは必ず納受して、意に随いて与うる所にせよ」と。維摩詰乃ち瓔珞を受け、分けて二分と作し、一分を持して此の会の中の一最下の乞人に施し、一分を持して彼の難勝如来に奉る。一切の衆会、皆光明国土の難勝如来を見る。又、珠瓔の彼の仏の上に在りて、変じて四柱の宝台と成り、四面に厳飾して相い障蔽せざるを見る。時に維摩詰、神変を現じ已りて是の言を作す、「若し施主等、心を等しくして一最下の乞人に施すこと、猶お如来の福田の相の如くして分別する所無く、大悲に等しくして果報を求めざれば、是れ則ち名づけて具足せる法施と曰う」と。城中の一最下の乞人、是の神力を見、其の説く所を聞きて、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。故に我は彼に詣りて疾を問うに任せず」と。是の如く諸の菩薩、各各仏に向かいて其の本縁を説き、維摩詰の言う所を称述して、皆曰わく、彼に詣りて疾を問うに任せず、と。
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