維摩経 / 菩薩行品第十一(2)
曰。此飯勢力至于七日然後乃消。又阿難。若聲聞人未入正位食此飯者。得入正位然後乃消。已入正位食此飯者。得心解脫然後乃消。若未發大乘意食此飯者。至發意乃消。已發意食此飯者。得無生忍然後乃消。已得無生忍食此飯者。至一生補處然後乃消。譬如有藥名曰上味其有服者身諸毒滅然後乃消。此飯如是滅除一切諸煩惱毒然後乃消。阿難白佛言。未曾有也。世尊。如此香飯能作佛事。佛言。如是如是。阿難。或有佛土以佛光明而作佛事。有以諸菩薩而作佛事。有以佛所化人而作佛事。有以菩提樹而作佛事。有以佛衣服臥具而作佛事。有以飯食而作佛事。有以園林臺觀而作佛事。有以三十二相八十隨形好而作佛事。有以佛身而作佛事。有以虛空而作佛事。眾生應以此緣得入律行。有以夢幻影響鏡中像水中月熱時炎如是等喻而作佛事。有以音聲語言文字而作佛事。或有清淨佛土寂寞無言無說無示無識無作無為而作佛事。如是阿難。諸佛威儀進止。諸所施為無非佛事。阿難。有此四魔八萬四千諸煩惱門。而諸眾生為之疲勞。諸佛即以此法而作佛事。是名入一切諸佛法門。菩薩入此門者。
新字:曰。此飯勢力至于七日然後乃消。又阿難。若声聞人未入正位食此飯者。得入正位然後乃消。已入正位食此飯者。得心解脱然後乃消。若未発大乗意食此飯者。至発意乃消。已発意食此飯者。得無生忍然後乃消。已得無生忍食此飯者。至一生補処然後乃消。譬如有薬名曰上味其有服者身諸毒滅然後乃消。此飯如是滅除一切諸煩悩毒然後乃消。阿難白仏言。未曽有也。世尊。如此香飯能作仏事。仏言。如是如是。阿難。或有仏土以仏光明而作仏事。有以諸菩薩而作仏事。有以仏所化人而作仏事。有以菩提樹而作仏事。有以仏衣服臥具而作仏事。有以飯食而作仏事。有以園林台観而作仏事。有以三十二相八十随形好而作仏事。有以仏身而作仏事。有以虚空而作仏事。衆生応以此縁得入律行。有以夢幻影響鏡中像水中月熱時炎如是等喩而作仏事。有以音声語言文字而作仏事。或有清浄仏土寂寞無言無説無示無識無作無為而作仏事。如是阿難。諸仏威儀進止。諸所施為無非仏事。阿難。有此四魔八万四千諸煩悩門。而諸衆生為之疲労。諸仏即以此法而作仏事。是名入一切諸仏法門。菩薩入此門者。
書き下し
曰く、此の飯の勢力は七日に至りて然して後に乃ち消ゆ。又、阿難、若し声聞人の未だ正位に入らざる者、此の飯を食せば、正位に入るを得て然して後に乃ち消ゆ。已に正位に入れる者、此の飯を食せば、心解脱を得て然して後に乃ち消ゆ。若し未だ大乗の意を発さざる者、此の飯を食せば、意を発すに至りて乃ち消ゆ。已に意を発せる者、此の飯を食せば、無生忍を得て然して後に乃ち消ゆ。已に無生忍を得たる者、此の飯を食せば、一生補処に至りて然して後に乃ち消ゆ。譬えば薬有り、名づけて上味と曰う。其の服する者有れば、身の諸毒滅して然して後に乃ち消ゆるが如し。此の飯も是くの如く、一切の諸の煩悩の毒を滅除して然して後に乃ち消ゆ。阿難、仏に白して言わく、未曾有なり、世尊。此くの如き香飯、能く仏事を作す。仏の言わく、是くの如し、是くの如し、阿難。或いは仏土有りて、仏の光明を以て仏事を作す。諸の菩薩を以て仏事を作す有り。仏の化する所の人を以て仏事を作す有り。菩提樹を以て仏事を作す有り。仏の衣服・臥具を以て仏事を作す有り。飯食を以て仏事を作す有り。園林・台観を以て仏事を作す有り。三十二相・八十随形好を以て仏事を作す有り。仏身を以て仏事を作す有り。虚空を以て仏事を作す有り。衆生は此の縁に応じて律行に入ることを得。夢・幻・影・響・鏡中の像・水中の月・熱時の炎、是くの如き等の喩を以て仏事を作す有り。音声・語言・文字を以て仏事を作す有り。或いは清浄の仏土の寂寞にして言無く説無く示無く識無く作無く為無きに、而も仏事を作す有り。是くの如し、阿難。諸仏の威儀、進止、諸の施為する所、仏事に非ざること無し。阿難、此の四魔・八万四千の諸の煩悩門有りて、而も諸の衆生、之が為に疲労す。諸仏は即ち此の法を以て仏事を作す。是を一切諸仏の法門に入ると名づく。菩薩、此の門に入る者は、
現代語訳
維摩詰は答えました。「この飯の力は七日間続いて、それから消化されます。さらに阿難よ、まだ正位に入っていない声聞がこの飯を食べると、正位に入ってから消化されます。すでに正位に入った者が食べると、心の解脱を得てから消化されます。まだ大乗の志を起こしていない者が食べると、志を起こしてから消化されます。すでに志を起こした者が食べると、無生忍を得てから消化されます。すでに無生忍を得た者が食べると、一生補処の位に至ってから消化されます。たとえば上味という薬があり、それを飲むとからだのあらゆる毒が除かれてから薬が消えるようなものです。この飯もそのように、あらゆる煩悩の毒を除き去ってから消化されます。」阿難は仏に言いました。「かつてないことです、世尊。このような香りの飯が、仏のはたらきをするのですね。」仏は言いました。「そのとおりだ、阿難。ある仏の国では、仏の光明で仏のはたらきをなす。菩薩によって、仏の化作した人によって、菩提樹によって、仏の衣服や臥具によって、飯食によって、庭園や楼閣によって、三十二相と八十種好によって、仏の身によって、虚空によってもそれをなす。衆生はそれらの縁によって戒律の行に入ることができる。夢、幻、影、こだま、鏡に映る像、水に映る月、陽炎といった譬えによっても仏のはたらきをなし、音声や言葉や文字によってもなす。また、清らかな仏の国が静かで、言うことも示すことも知ることも、作ることも為すこともない状態のままで、仏のはたらきをなす場合もある。阿難よ、このように、諸仏の立ち居振る舞い、進退、なすことのすべてが仏のはたらきでないものはない。阿難よ、四つの魔と八万四千の煩悩の門があって、衆生はそのために疲れ果てている。諸仏はまさにこの同じものを手段として仏のはたらきをなす。これを、すべての仏の法門に入るというのだ。菩薩がこの門に入るならば、
解説

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維摩経・香積佛品第十(3)須臾の間に維摩詰の舎に至る。時に維摩詰、即ち九百万の師子の座を化作す。厳好なること前の如し。諸の菩薩皆其の上に坐す。是の化菩薩、満鉢の香飯を以て維摩詰に与う。飯の香り普く毘耶離城及び三千大千世界に熏ず。時に毘耶離の婆羅門・居士等、是の香気を聞ぎて身意快然とし、未曾有なりと歎ず。是に於いて長者の主月蓋、八万四千人より来りて維摩詰の舎に入る。其の室中の菩薩甚だ多く、諸の師子座の高広厳好なるを見て、皆大いに歓喜し、衆の菩薩及び大弟子を礼し、却きて一面に住す。諸の地神・虚空神及び欲色界の諸天も、此の香気を聞ぎて亦た皆来りて維摩詰の舎に入る。時に維摩詰、舎利弗等の諸の大声聞に語る、仁者よ、如来の甘露味の飯を食すべし。大悲の熏ずる所なり。意を限るに無かれ、之を食して消えざらしむること勿かれ、と。異なる声聞有りて念ず、是の飯は少なく、而も此の大衆は人人当に食すべし、と。化菩薩の曰わく、声聞の小徳小智を以て、如来の無量の福慧を称量すること勿かれ。四海は竭くること有るも、此の飯は尽くること無し。一切の人をして食することを揣して須弥の若くならしめ、乃至一劫するも猶お尽くすこと能わず。所以は何ん。無尽の戒・定・智慧・解脱・解脱知見の功徳を具足する者の、食する所の餘は、終に尽くすべからず、と。是に於いて鉢の飯は悉く衆会を飽かしめ、猶お故のごとく儩きず。其の諸の菩薩・声聞・天人の此の飯を食する者は、身安らかに快楽なること、譬えば一切楽荘厳国の諸の菩薩の如し。又諸の毛孔より皆妙香を出だすこと、亦た衆香国土の諸樹の香の如し。 爾の時、維摩詰、衆香の菩薩に問う、香積如来は何を以て法を説く、と。 彼の菩薩の曰わく、我が土の如来は文字の説無し。但だ衆香を以て諸の天人をして律行に入るを得しむ。菩薩各各香樹の下に坐して、斯の妙香を聞げば、即ち一切徳蔵三昧を獲。是の三昧を得る者は、菩薩の所有の功徳、皆悉く具足す、と。
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維摩経・菩薩行品第十一(1)是の時、仏、菴羅樹園に法を説きたまう。其の地忽然として広博に厳事し、一切の衆会、皆金色と作る。阿難、仏に白して言わく、世尊、何の因縁を以て、此の瑞応有る。是の処、忽然として広博に厳事し、一切の衆会、皆金色と作ると。仏、阿難に告げたまわく、是れ維摩詰・文殊師利、諸の大衆と恭敬し囲繞して、意を発して来たらんと欲す。故に先ず此の瑞応を為すなり。是に於いて維摩詰、文殊師利に語る、共に仏を見たてまつり、諸の菩薩と礼事し供養すべしと。文殊師利言わく、善きかな、行かん。今正に是れ時なりと。維摩詰、即ち神力を以て、諸の大衆并びに師子座を持ちて、右の掌に置き、仏の所に往詣し、到り已りて地に著く。仏足に稽首し、右に遶ること七匝、一心に合掌して一面に在りて立つ。其の諸の菩薩、即ち皆座を避け、仏足に稽首し、亦七匝を繞りて一面に立つ。諸の大弟子・釈・梵・四天王等も、亦皆座を避け、仏足に稽首して一面に在りて立つ。是に於いて世尊、法の如く諸の菩薩を慰問し已りて、各おの復た坐せしむ。即ち皆教えを受けて、衆坐し已りて定まる。仏、舎利弗に語りたまわく、汝、菩薩大士の自在神力の為す所を見るや。唯然り、已に見たり。汝が意に於いて云何。世尊、我、其の為すを覩るに、不可思議にして、意の図る所に非ず、度の測る所に非ず。爾の時、阿難、仏に白して言わく、世尊、今聞ぐ所の香、昔より有らず。是れ何の香ぞ。仏、阿難に告げたまわく、是れ彼の菩薩の毛孔の香なり。是に於いて舎利弗、阿難に語りて言わく、我等が毛孔も亦是の香を出だす。阿難言わく、此れ従り来たる所は。曰く、是の長者維摩詰、衆香国より仏の余飯を取りて舎に食する者、一切の毛孔、皆香ること此くの若し。阿難、維摩詰に問う、是の香気の住すること、当に久しきこと如何ばかりなるべき。維摩詰言わく、此の飯の消ゆるに至る。曰く、此の飯、久しきこと如何ばかりにして当に消ゆべき。
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維摩経・香積佛品第十(1)是に於いて舎利弗、心に念ず、日の時至らんと欲す、此の諸の菩薩は当に何れの所に食すべき、と。 時に維摩詰、其の意を知りて語りて言わく、仏は八解脱を説く、仁者受行せり。豈に欲食を雑えて法を聞かんや。若し食せんと欲せば且く須臾を待て、当に汝をして未曾有の食を得しめん、と。 時に維摩詰、即ち三昧に入り、神通力を以て諸の大衆に示す。上方界分、四十二恒河沙の仏土を過ぎて、国有り、衆香と名づく。仏を香積と号し、今現在す。其の国の香気は、十方の諸仏の世界の人天の香に比ぶるに最も第一なり。彼の土には声聞・辟支仏の名有ること無く、唯だ清浄の大菩薩衆有りて、仏の為に法を説く。其の界は一切皆香を以て楼閣を作り、経行する香地、苑園皆香なり。其の食の香気は十方無量の世界に周流す。時に彼の仏、諸の菩薩と方に共に坐して食す。諸の天子有り、皆香厳と号し、悉く阿耨多羅三藐三菩提の心を発し、彼の仏及び諸の菩薩を供養す。此の諸の大衆、目に見ざる莫し。 時に維摩詰、衆の菩薩に問うて言わく、諸の仁者よ、誰か能く彼の仏の飯を致さん、と。文殊師利の威神力を以ての故に、咸皆默然たり。維摩詰の言わく、仁者の此の大衆、乃ち恥ずべきこと無からんや、と。 文殊師利の曰わく、仏の言う所の如し、未学を軽んずること勿かれ、と。 是に於いて維摩詰、座を起たずして衆会の前に居り、化して菩薩を作す。相好光明威徳殊勝にして、衆会を蔽う。而して之に告げて曰わく、汝、上方界分に往け。四十二恒河沙の仏土を度りて、国有り、衆香と名づく。仏を香積と号し、諸の菩薩と方に共に坐して食す。汝彼に往き到りて我が辞の如く曰え、維摩詰、世尊の足下に稽首し、敬いを致すこと無量にして、起居を問訊し、少病少悩、気力安きや不や。願わくは世尊の食する所の餘を得て、当に娑婆世界に於いて仏事を施作し、此の小法を楽う者をして弘大の道を得しめ、亦た如来の名声をして普く聞かしめん、と。
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維摩経・菩薩品第四(7)衆生の縛を解きて修行地を起こし、相好及び浄仏土を具うるを以て福徳の業を起こし、一切衆生の心念を知りて応ずるが如く法を説きて智業を起こし、一切法の取らず捨てざるを知りて一相門に入り慧業を起こし、一切の煩悩・一切の障礙・一切の不善法を断じて一切の善業を起こし、以て一切の智慧・一切の善法を得て、一切の仏道を助くる法を起こす。是の如し、善男子。是れを法施の会と為す。若し菩薩、是の法施の会に住せば、大施主と為り、亦一切世間の福田と為る」と。世尊、維摩詰の是の法を説きし時、婆羅門衆の中の二百人、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。我れ時に心清浄を得て、未曾有なりと歎じ、維摩詰の足を稽首して礼し、即ち瓔珞の価直百千なるを解きて、以て之に上る。取ることを肯んぜず。我言わく、「居士、願わくは必ず納受して、意に随いて与うる所にせよ」と。維摩詰乃ち瓔珞を受け、分けて二分と作し、一分を持して此の会の中の一最下の乞人に施し、一分を持して彼の難勝如来に奉る。一切の衆会、皆光明国土の難勝如来を見る。又、珠瓔の彼の仏の上に在りて、変じて四柱の宝台と成り、四面に厳飾して相い障蔽せざるを見る。時に維摩詰、神変を現じ已りて是の言を作す、「若し施主等、心を等しくして一最下の乞人に施すこと、猶お如来の福田の相の如くして分別する所無く、大悲に等しくして果報を求めざれば、是れ則ち名づけて具足せる法施と曰う」と。城中の一最下の乞人、是の神力を見、其の説く所を聞きて、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。故に我は彼に詣りて疾を問うに任せず」と。是の如く諸の菩薩、各各仏に向かいて其の本縁を説き、維摩詰の言う所を称述して、皆曰わく、彼に詣りて疾を問うに任せず、と。
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維摩経・菩薩行品第十一(5)善く諸根を別ちて衆生の疑いを断ち、楽説の弁を以て法を演べて無礙なり。十善道を浄めて天人の福を受け、四無量を修して梵天の道を開き、説法を勧請し、随喜し讃善して、仏の音声を得、身口意の善なること仏の威儀を得、深く善法を修して行ずる所転た勝れ、大乗の教えを以て菩薩の僧を成じ、心に放逸無くして衆善を失わず。此くの如き法を行ずる、是を菩薩は有為を尽くさずと名づく。何をか菩薩は無為に住せずと謂う。謂わく、空を修学して空を以て証と為さず、無相・無作を修学して無相・無作を以て証と為さず、無起を修学して無起を以て証と為さず。無常を観じて而も善本を厭わず、世間の苦を観じて而も生死を悪まず、無我を観じて而も人を誨えて倦まず、寂滅を観じて而も永滅せず、遠離を観じて而も身心に善を修め、帰する所無きを観じて而も善法に帰趣し、無生を観じて而も生法を以て一切を荷負し、無漏を観じて而も諸漏を断ぜず、行ずる所無きを観じて而も行法を以て衆生を教化し、空無を観じて而も大悲を捨てず、正法位を観じて而も小乗に随わず、諸法の虚妄にして牢無く人無く主無く相無きを観じ、本願未だ満たざれば而も福徳・禅定・智慧を虚しくせず。此くの如き法を修する、是を菩薩は無為に住せずと名づく。又、福徳を具するが故に無為に住せず、智慧を具するが故に有為を尽くさず、大慈悲の故に無為に住せず、本願を満たすが故に有為を尽くさず、法薬を集むるが故に無為に住せず、随って薬を授くるが故に有為を尽くさず、衆生の病を知るが故に無為に住せず、衆生の病を滅するが故に有為を尽くさず。諸の正士菩薩、此の法を修するを以て、有為を尽くさず、無為に住せず。是を有尽無尽解脱法門と名づく。汝等、当に学ぶべし。爾の時、彼の諸の菩薩、是の法を説くを聞きて皆大いに歓喜し、衆妙の華、若干種の色、若干種の香を以て、三千大千世界に散遍し、仏及び此の経法并びに諸の菩薩を供養し已りて、仏足に稽首し、未曾有なりと歎じて言わく、釈迦牟尼仏、乃ち能く此に於いて善く方便を行じたまうと。言い已りて忽然として現ぜず、彼の国に還到せり。
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維摩経・佛道品第八(4)世間の衆の道法、悉く中に於いて出家す。 因りて以て人の惑いを解き、而も邪見に墮ちず。 或いは日月天、梵王、世界の主と作り、 或る時は地水と作り、或いは復た風火と作る。 劫中に疾疫有れば、現じて諸の薬草と作る。 若し之を服する者有らば、病を除き衆毒を消す。 劫中に飢饉有れば、身を現じて飲食と作る。 先ず彼の飢渇を救い、却って法を以て人に語る。 劫中に刀兵有れば、之が為に慈心を起こし、 彼の諸の衆生を化して、無諍の地に住せしむ。 若し大戦陣有らば、之に立つに等力を以てす。 菩薩威勢を現じ、降伏して和安ならしむ。 一切の国土の中の、諸有る地獄の処に、 輒ち往きて彼に到り、其の苦悩を勉済す。 一切の国土の中に、畜生の相食噉するには、 皆現じて彼に生まれ、之が為に利益を作す。 五欲を受くるを示し、亦復た禅を行ずるを現ず。 魔の心をして憒乱せしめ、其の便を得ること能わざらしむ。 火中に蓮華を生ず、是れ希有と謂うべし。 欲に在りて禅を行ずること、希有なること亦た是くの如し。 或いは婬女と作りて、諸の好色の者を引く。 先ず欲の鉤を以て牽き、後に仏道に入らしむ。 或いは邑中の主と為り、或いは商人の導と作る。 国師及び大臣となり、以て衆生を祐利す。 諸有る貧窮の者には、現じて無尽蔵と作る。 因りて以て之を勧導し、菩提心を発さしむ。 我が心憍慢の者には、為に大力士と現じ、 諸の貢高を消伏して、無上道に住せしむ。 其れ恐懼の衆有れば、前に居りて慰安し、 先ず施すに無畏を以てし、後に道心を発さしむ。 或いは婬欲を離るるを現じ、五通の仙人と為り、 諸の群生を開導して、戒・忍・慈に住せしむ。 供事を須うる者を見ては、現じて僮僕と作る。 既に其の意を悦可して、乃ち発すに道心を以てす。 彼の須うる所に随いて、仏道に入ることを得しむ。 善き方便の力を以て、皆能く之を給足す。 是くの如く道は無量にして、行ずる所に涯有ること無し。 智慧は辺際無く、無数の衆を度脱す。 仮令い一切の仏、無量億劫に於いて、 其の功徳を讃歎するも、猶お尚お尽くすこと能わず。 誰か是くの如き法を聞きて、菩提心を発さざらん。 彼の不肖の人、癡冥にして智無き者を除く。