維摩経 / 香積佛品第十(3)
須臾之間至維摩詰舍。時維摩詰。即化作九百萬師子之座嚴好如前。諸菩薩皆坐其上。是化菩薩以滿鉢香飯與維摩詰。飯香普熏毘耶離城及三千大千世界。時毘耶離婆羅門居士等。聞是香氣身意快然歎未曾有。於是長者主月蓋。從八萬四千人來入維摩詰舍。見其室中菩薩甚多諸師子座高廣嚴好。皆大歡喜禮眾菩薩及大弟子。却住一面。諸地神虛空神及欲色界諸天。聞此香氣亦皆來入維摩詰舍。時維摩詰語舍利弗等諸大聲聞。仁者可食如來甘露味飯大悲所熏無以限意食之使不消也。有異聲聞念。是飯少而此大眾人人當食。化菩薩曰。勿以聲聞小德小智稱量如來無量福慧。四海有竭此飯無盡。使一切人食揣若須彌乃至一劫猶不能盡。所以者何。無盡戒定智慧解脫解脫知見功德具足者。所食之餘。終不可盡。於是鉢飯悉飽眾會猶故不儩。其諸菩薩聲聞天人食此飯者。身安快樂。譬如一切樂莊嚴國諸菩薩也。又諸毛孔皆出妙香。亦如眾香國土諸樹之香。 爾時維摩詰問眾香菩薩。香積如來以何說法。 彼菩薩曰。我土如來無文字說。但以眾香令諸天人得入律行。菩薩各各坐香樹下聞斯妙香。即獲一切德藏三昧。得是三昧者。菩薩所有功德皆悉具足。
新字:須臾之間至維摩詰舎。時維摩詰。即化作九百万師子之座厳好如前。諸菩薩皆坐其上。是化菩薩以満鉢香飯与維摩詰。飯香普熏毘耶離城及三千大千世界。時毘耶離婆羅門居士等。聞是香気身意快然嘆未曽有。於是長者主月蓋。従八万四千人来入維摩詰舎。見其室中菩薩甚多諸師子座高広厳好。皆大歓喜礼衆菩薩及大弟子。却住一面。諸地神虚空神及欲色界諸天。聞此香気亦皆来入維摩詰舎。時維摩詰語舎利弗等諸大声聞。仁者可食如来甘露味飯大悲所熏無以限意食之使不消也。有異声聞念。是飯少而此大衆人人当食。化菩薩曰。勿以声聞小徳小智称量如来無量福慧。四海有竭此飯無尽。使一切人食揣若須弥乃至一劫猶不能尽。所以者何。無尽戒定智慧解脱解脱知見功徳具足者。所食之余。終不可尽。於是鉢飯悉飽衆会猶故不儩。其諸菩薩声聞天人食此飯者。身安快楽。譬如一切楽荘厳国諸菩薩也。又諸毛孔皆出妙香。亦如衆香国土諸樹之香。 爾時維摩詰問衆香菩薩。香積如来以何説法。 彼菩薩曰。我土如来無文字説。但以衆香令諸天人得入律行。菩薩各各坐香樹下聞斯妙香。即獲一切徳蔵三昧。得是三昧者。菩薩所有功徳皆悉具足。
書き下し
須臾の間に維摩詰の舎に至る。時に維摩詰、即ち九百万の師子の座を化作す。厳好なること前の如し。諸の菩薩皆其の上に坐す。是の化菩薩、満鉢の香飯を以て維摩詰に与う。飯の香り普く毘耶離城及び三千大千世界に熏ず。時に毘耶離の婆羅門・居士等、是の香気を聞ぎて身意快然とし、未曾有なりと歎ず。是に於いて長者の主月蓋、八万四千人より来りて維摩詰の舎に入る。其の室中の菩薩甚だ多く、諸の師子座の高広厳好なるを見て、皆大いに歓喜し、衆の菩薩及び大弟子を礼し、却きて一面に住す。諸の地神・虚空神及び欲色界の諸天も、此の香気を聞ぎて亦た皆来りて維摩詰の舎に入る。時に維摩詰、舎利弗等の諸の大声聞に語る、仁者よ、如来の甘露味の飯を食すべし。大悲の熏ずる所なり。意を限るに無かれ、之を食して消えざらしむること勿かれ、と。異なる声聞有りて念ず、是の飯は少なく、而も此の大衆は人人当に食すべし、と。化菩薩の曰わく、声聞の小徳小智を以て、如来の無量の福慧を称量すること勿かれ。四海は竭くること有るも、此の飯は尽くること無し。一切の人をして食することを揣して須弥の若くならしめ、乃至一劫するも猶お尽くすこと能わず。所以は何ん。無尽の戒・定・智慧・解脱・解脱知見の功徳を具足する者の、食する所の餘は、終に尽くすべからず、と。是に於いて鉢の飯は悉く衆会を飽かしめ、猶お故のごとく儩きず。其の諸の菩薩・声聞・天人の此の飯を食する者は、身安らかに快楽なること、譬えば一切楽荘厳国の諸の菩薩の如し。又諸の毛孔より皆妙香を出だすこと、亦た衆香国土の諸樹の香の如し。 爾の時、維摩詰、衆香の菩薩に問う、香積如来は何を以て法を説く、と。 彼の菩薩の曰わく、我が土の如来は文字の説無し。但だ衆香を以て諸の天人をして律行に入るを得しむ。菩薩各各香樹の下に坐して、斯の妙香を聞げば、即ち一切徳蔵三昧を獲。是の三昧を得る者は、菩薩の所有の功徳、皆悉く具足す、と。
現代語訳
短い時間のうちに、維摩詰の家に着きました。そこで維摩詰は、九百万の獅子の座を化作しました。美しく立派なことは先のとおりです。菩薩たちはみなその上に座りました。化作の菩薩は、満杯の香飯を維摩詰に渡しました。飯の香りは毘耶離城と三千大千世界にあまねく広がりました。そのとき毘耶離のバラモンや居士たちは、この香りを嗅いで身も心も快くなり、これまでにないことだと感嘆しました。そこで長者の主の月蓋が、八万四千人を連れて維摩詰の家に入りました。部屋の中には多くの菩薩がいて、高く広く立派な獅子の座が並んでいるのを見て、みな大いに喜び、菩薩たちと大弟子たちを礼拝し、退いて片側に立ちました。地の神、虚空の神、欲界と色界の諸天も、この香りを嗅いで、みな維摩詰の家に入ってきました。そのとき維摩詰は、舎利弗ら大声聞たちに言いました。皆さん、如来の甘露の味の飯を召し上がってください。大悲によって薫じられた飯です。心を限って食べて、消化しないということがないようにしてください。別の声聞が思いました。この飯は少ないのに、この大衆が一人ひとり食べるのだろうか、と。化作の菩薩は言いました。声聞の小さな徳と小さな智慧で、如来の無量の福と智慧を量ってはなりません。四つの海は尽きることがあっても、この飯は尽きることがありません。すべての人が須弥山のような塊を食べても、一劫のあいだ食べ続けても尽くせません。なぜなら、尽きることのない戒・定・智慧・解脱・解脱知見の功徳を備えた者が食べた残りは、決して尽きないからです。そこで鉢の飯は会衆のすべてを満腹にしても、もとのまま尽きませんでした。この飯を食べた菩薩、声聞、天人は、身が安らぎ、快く楽しくなりました。それはちょうど、一切楽荘厳国の菩薩たちのようです。また、毛穴からすべて妙なる香りを出し、衆香国土の木々の香りのようでした。 そのとき維摩詰は、衆香国から来た菩薩に尋ねました。香積如来はどのようにして法を説いていますか。 あの菩薩は答えました。私の国の如来は、文字による説法をしません。ただ香りによって、諸々の天人に戒律の行いに入らせます。菩薩たちはそれぞれ香樹の下に座り、この妙なる香りを嗅ぐと、すぐにあらゆる徳を蔵する三昧を得ます。この三昧を得た者は、菩薩の持つすべての功徳が、みな備わります。
解説

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維摩経・香積佛品第十(1)是に於いて舎利弗、心に念ず、日の時至らんと欲す、此の諸の菩薩は当に何れの所に食すべき、と。 時に維摩詰、其の意を知りて語りて言わく、仏は八解脱を説く、仁者受行せり。豈に欲食を雑えて法を聞かんや。若し食せんと欲せば且く須臾を待て、当に汝をして未曾有の食を得しめん、と。 時に維摩詰、即ち三昧に入り、神通力を以て諸の大衆に示す。上方界分、四十二恒河沙の仏土を過ぎて、国有り、衆香と名づく。仏を香積と号し、今現在す。其の国の香気は、十方の諸仏の世界の人天の香に比ぶるに最も第一なり。彼の土には声聞・辟支仏の名有ること無く、唯だ清浄の大菩薩衆有りて、仏の為に法を説く。其の界は一切皆香を以て楼閣を作り、経行する香地、苑園皆香なり。其の食の香気は十方無量の世界に周流す。時に彼の仏、諸の菩薩と方に共に坐して食す。諸の天子有り、皆香厳と号し、悉く阿耨多羅三藐三菩提の心を発し、彼の仏及び諸の菩薩を供養す。此の諸の大衆、目に見ざる莫し。 時に維摩詰、衆の菩薩に問うて言わく、諸の仁者よ、誰か能く彼の仏の飯を致さん、と。文殊師利の威神力を以ての故に、咸皆默然たり。維摩詰の言わく、仁者の此の大衆、乃ち恥ずべきこと無からんや、と。 文殊師利の曰わく、仏の言う所の如し、未学を軽んずること勿かれ、と。 是に於いて維摩詰、座を起たずして衆会の前に居り、化して菩薩を作す。相好光明威徳殊勝にして、衆会を蔽う。而して之に告げて曰わく、汝、上方界分に往け。四十二恒河沙の仏土を度りて、国有り、衆香と名づく。仏を香積と号し、諸の菩薩と方に共に坐して食す。汝彼に往き到りて我が辞の如く曰え、維摩詰、世尊の足下に稽首し、敬いを致すこと無量にして、起居を問訊し、少病少悩、気力安きや不や。願わくは世尊の食する所の餘を得て、当に娑婆世界に於いて仏事を施作し、此の小法を楽う者をして弘大の道を得しめ、亦た如来の名声をして普く聞かしめん、と。
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維摩経・菩薩行品第十一(1)是の時、仏、菴羅樹園に法を説きたまう。其の地忽然として広博に厳事し、一切の衆会、皆金色と作る。阿難、仏に白して言わく、世尊、何の因縁を以て、此の瑞応有る。是の処、忽然として広博に厳事し、一切の衆会、皆金色と作ると。仏、阿難に告げたまわく、是れ維摩詰・文殊師利、諸の大衆と恭敬し囲繞して、意を発して来たらんと欲す。故に先ず此の瑞応を為すなり。是に於いて維摩詰、文殊師利に語る、共に仏を見たてまつり、諸の菩薩と礼事し供養すべしと。文殊師利言わく、善きかな、行かん。今正に是れ時なりと。維摩詰、即ち神力を以て、諸の大衆并びに師子座を持ちて、右の掌に置き、仏の所に往詣し、到り已りて地に著く。仏足に稽首し、右に遶ること七匝、一心に合掌して一面に在りて立つ。其の諸の菩薩、即ち皆座を避け、仏足に稽首し、亦七匝を繞りて一面に立つ。諸の大弟子・釈・梵・四天王等も、亦皆座を避け、仏足に稽首して一面に在りて立つ。是に於いて世尊、法の如く諸の菩薩を慰問し已りて、各おの復た坐せしむ。即ち皆教えを受けて、衆坐し已りて定まる。仏、舎利弗に語りたまわく、汝、菩薩大士の自在神力の為す所を見るや。唯然り、已に見たり。汝が意に於いて云何。世尊、我、其の為すを覩るに、不可思議にして、意の図る所に非ず、度の測る所に非ず。爾の時、阿難、仏に白して言わく、世尊、今聞ぐ所の香、昔より有らず。是れ何の香ぞ。仏、阿難に告げたまわく、是れ彼の菩薩の毛孔の香なり。是に於いて舎利弗、阿難に語りて言わく、我等が毛孔も亦是の香を出だす。阿難言わく、此れ従り来たる所は。曰く、是の長者維摩詰、衆香国より仏の余飯を取りて舎に食する者、一切の毛孔、皆香ること此くの若し。阿難、維摩詰に問う、是の香気の住すること、当に久しきこと如何ばかりなるべき。維摩詰言わく、此の飯の消ゆるに至る。曰く、此の飯、久しきこと如何ばかりにして当に消ゆべき。
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維摩経・香積佛品第十(2)時に化菩薩、即ち会前に於いて上方に昇る。挙衆皆其の去りて衆香界に到り、彼の仏の足を礼するを見る。又其の言を聞く、維摩詰、世尊の足下に稽首し、敬いを致すこと無量にして、起居を問訊し、少病少悩、気力安きや不や。願わくは世尊の食する所の餘を得て、娑婆世界に於いて仏事を施作せんと欲し、此の小法を楽う者をして弘大の道を得しめ、亦た如来の名声をして普く聞かしめん、と。 彼の諸の大士、化菩薩を見て未曾有なりと歎ず。今此の上人は何れの所より来る。娑婆世界は何れの許に在りと為す。云何なるを名づけて小法を楽う者と為す、と。即ち以て仏に問う。仏之に告げて曰わく、下方に四十二恒河沙の仏土を度りて、世界有り、娑婆と名づく。仏を釈迦牟尼と号し、今現在して五濁悪世に於いて、小法を楽う衆生の為に道教を敷演す。彼に菩薩有り、維摩詰と名づく。不可思議解脱に住し、諸の菩薩の為に法を説く。故に化を遣わして来らしめ、我が名を称揚し并びに此の土を讃え、彼の菩薩をして功徳を増益せしむ、と。彼の菩薩の言わく、其の人は何如にして乃ち是の化を作す。徳力無畏神足斯くの若し、と。仏の言わく、甚だ大なり。一切十方に皆化を遣わして往かしめ、仏事を施作して衆生を饒益す、と。是に於いて香積如来、衆香の鉢を以て香飯を盛り満たして化菩薩に与う。時に彼の九百万の菩薩、俱に声を発して言わく、我れ娑婆世界に詣りて釈迦牟尼仏を供養し、并びに維摩詰等の諸の菩薩衆を見んと欲す、と。仏の言わく、往くべし。汝が身の香を摂めて、彼の諸の衆生をして惑著の心を起こさしむること無かれ。又当に汝が本形を捨てて、彼の国の菩薩を求むる者をして自ら鄙恥せしむること勿かれ。又汝彼に於いて軽賎を懐きて礙想を作すこと莫かれ。所以は何ん。十方の国土は皆虚空の如し。又諸仏は小法を楽う者を化せんと欲するが為に、尽くは其の清浄の土を現さざるのみ、と。時に化菩薩既に鉢飯を受け、彼の九百万の菩薩と俱に、仏の威神及び維摩詰の力を承けて、彼の世界に於いて忽然として現ぜず。
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維摩経・菩薩行品第十一(2)曰く、此の飯の勢力は七日に至りて然して後に乃ち消ゆ。又、阿難、若し声聞人の未だ正位に入らざる者、此の飯を食せば、正位に入るを得て然して後に乃ち消ゆ。已に正位に入れる者、此の飯を食せば、心解脱を得て然して後に乃ち消ゆ。若し未だ大乗の意を発さざる者、此の飯を食せば、意を発すに至りて乃ち消ゆ。已に意を発せる者、此の飯を食せば、無生忍を得て然して後に乃ち消ゆ。已に無生忍を得たる者、此の飯を食せば、一生補処に至りて然して後に乃ち消ゆ。譬えば薬有り、名づけて上味と曰う。其の服する者有れば、身の諸毒滅して然して後に乃ち消ゆるが如し。此の飯も是くの如く、一切の諸の煩悩の毒を滅除して然して後に乃ち消ゆ。阿難、仏に白して言わく、未曾有なり、世尊。此くの如き香飯、能く仏事を作す。仏の言わく、是くの如し、是くの如し、阿難。或いは仏土有りて、仏の光明を以て仏事を作す。諸の菩薩を以て仏事を作す有り。仏の化する所の人を以て仏事を作す有り。菩提樹を以て仏事を作す有り。仏の衣服・臥具を以て仏事を作す有り。飯食を以て仏事を作す有り。園林・台観を以て仏事を作す有り。三十二相・八十随形好を以て仏事を作す有り。仏身を以て仏事を作す有り。虚空を以て仏事を作す有り。衆生は此の縁に応じて律行に入ることを得。夢・幻・影・響・鏡中の像・水中の月・熱時の炎、是くの如き等の喩を以て仏事を作す有り。音声・語言・文字を以て仏事を作す有り。或いは清浄の仏土の寂寞にして言無く説無く示無く識無く作無く為無きに、而も仏事を作す有り。是くの如し、阿難。諸仏の威儀、進止、諸の施為する所、仏事に非ざること無し。阿難、此の四魔・八万四千の諸の煩悩門有りて、而も諸の衆生、之が為に疲労す。諸仏は即ち此の法を以て仏事を作す。是を一切諸仏の法門に入ると名づく。菩薩、此の門に入る者は、
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維摩経・菩薩品第四(7)衆生の縛を解きて修行地を起こし、相好及び浄仏土を具うるを以て福徳の業を起こし、一切衆生の心念を知りて応ずるが如く法を説きて智業を起こし、一切法の取らず捨てざるを知りて一相門に入り慧業を起こし、一切の煩悩・一切の障礙・一切の不善法を断じて一切の善業を起こし、以て一切の智慧・一切の善法を得て、一切の仏道を助くる法を起こす。是の如し、善男子。是れを法施の会と為す。若し菩薩、是の法施の会に住せば、大施主と為り、亦一切世間の福田と為る」と。世尊、維摩詰の是の法を説きし時、婆羅門衆の中の二百人、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。我れ時に心清浄を得て、未曾有なりと歎じ、維摩詰の足を稽首して礼し、即ち瓔珞の価直百千なるを解きて、以て之に上る。取ることを肯んぜず。我言わく、「居士、願わくは必ず納受して、意に随いて与うる所にせよ」と。維摩詰乃ち瓔珞を受け、分けて二分と作し、一分を持して此の会の中の一最下の乞人に施し、一分を持して彼の難勝如来に奉る。一切の衆会、皆光明国土の難勝如来を見る。又、珠瓔の彼の仏の上に在りて、変じて四柱の宝台と成り、四面に厳飾して相い障蔽せざるを見る。時に維摩詰、神変を現じ已りて是の言を作す、「若し施主等、心を等しくして一最下の乞人に施すこと、猶お如来の福田の相の如くして分別する所無く、大悲に等しくして果報を求めざれば、是れ則ち名づけて具足せる法施と曰う」と。城中の一最下の乞人、是の神力を見、其の説く所を聞きて、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発せり。故に我は彼に詣りて疾を問うに任せず」と。是の如く諸の菩薩、各各仏に向かいて其の本縁を説き、維摩詰の言う所を称述して、皆曰わく、彼に詣りて疾を問うに任せず、と。
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維摩経・香積佛品第十(5)彼の諸の菩薩、是を説くを聞き已りて、皆曰く、未曾有なりと。世尊釈迦牟尼仏の如きは、其の無量自在の力を隠して、乃ち貧しき者の楽う所の法を以て衆生を度脱したまう。斯の諸の菩薩も亦能く労謙にして、無量の大悲を以て是の仏土に生ずと。維摩詰言わく、此の土の菩薩は諸の衆生に於いて大悲堅固なること、誠に言う所の如し。然れども其の一世に衆生を饒益すること、彼の国の百千劫の行よりも多し。所以は何ん。此の娑婆世界に十事の善法有り、諸余の浄土の有ること無き所なり。何等をか十と為す。布施を以て貧窮を摂し、浄戒を以て毀禁を摂し、忍辱を以て瞋恚を摂し、精進を以て懈怠を摂し、禅定を以て乱意を摂し、智慧を以て愚癡を摂し、難を除く法を説きて八難の者を度し、大乗の法を以て小乗を楽う者を度し、諸の善根を以て無徳の者を済い、常に四摂を以て衆生を成就す。是を十と為す。彼の菩薩曰く、菩薩、幾の法を成就すれば、此の世界に於いて行じて瘡疣無く、浄土に生ずるや。維摩詰言わく、菩薩、八法を成就すれば、此の世界に於いて行じて瘡疣無く、浄土に生ず。何等をか八と為す。衆生を饒益して報いを望まず。一切衆生に代わりて諸の苦悩を受く。作す所の功徳、尽く以て之に施す。心を等しくして衆生に謙下し、無礙なり。諸の菩薩に於いては、之を視ること仏の如くす。未だ聞かざる所の経は、之を聞きて疑わず。声聞と相違背せず。彼の供を嫉まず、己が利を高ぶらず、而も其の中に於いて其の心を調伏す。常に己が過ちを省みて、彼の短を訟えず。恒に一心を以て諸の功徳を求む。是を八法と為す。維摩詰・文殊師利、大衆の中に於いて是の法を説きたまう時、百千の天人、皆阿耨多羅三藐三菩提の心を発し、十千の菩薩、無生法忍を得たり。