維摩経 / 入不二法門品第九(4)
珠頂王菩薩曰。正道邪道為二。住正道者則不分別是邪是正。離此二者。是為入不二法門。 樂實菩薩曰。實不實為二。實見者尚不見實何況非實。所以者何。非肉眼所見慧眼乃能見。而此慧眼無見無不見。是為入不二法門。 如是諸菩薩各各說已。問文殊師利。何等是菩薩入不二法門。 文殊師利曰。如我意者。於一切法無言無說。無示無識離諸問答是為入不二法門於是文殊師利。問維摩詰。我等各自說已。仁者當說。何等是菩薩入不二法門。 時維摩詰默然無言。 文殊師利歎曰。善哉善哉。乃至無有文字語言。是真入不二法門。 說是入不二法門品時。於此眾中五千菩薩。皆入不二法門得無生法忍。
新字:珠頂王菩薩曰。正道邪道為二。住正道者則不分別是邪是正。離此二者。是為入不二法門。 楽実菩薩曰。実不実為二。実見者尚不見実何況非実。所以者何。非肉眼所見慧眼乃能見。而此慧眼無見無不見。是為入不二法門。 如是諸菩薩各各説已。問文殊師利。何等是菩薩入不二法門。 文殊師利曰。如我意者。於一切法無言無説。無示無識離諸問答是為入不二法門於是文殊師利。問維摩詰。我等各自説已。仁者当説。何等是菩薩入不二法門。 時維摩詰黙然無言。 文殊師利嘆曰。善哉善哉。乃至無有文字語言。是真入不二法門。 説是入不二法門品時。於此衆中五千菩薩。皆入不二法門得無生法忍。
書き下し
珠頂王菩薩の曰わく、正道と邪道とを二と為す。正道に住する者は、則ち是れ邪、是れ正と分別せず。此の二を離るる者は、是れを不二法門に入ると為す。 楽実菩薩の曰わく、実と不実とを二と為す。実を見る者は、尚お実を見ず、何ぞ況んや非実をや。所以は何ん。肉眼の見る所に非ず、慧眼乃ち能く見る。而るに此の慧眼は、見る無く見ざる無し。是れを不二法門に入ると為す。 是くの如く諸の菩薩各各に説き已りて、文殊師利に問う、何等か是れ菩薩の不二法門に入るや、と。 文殊師利の曰わく、我が意の如きは、一切の法に於いて、言無く説無く、示無く識無く、諸の問答を離る、是れを不二法門に入ると為す。是に於いて文殊師利、維摩詰に問う、我等各自に説き已れり。仁者当に説くべし。何等か是れ菩薩の不二法門に入るや、と。 時に維摩詰、黙然として言無し。 文殊師利歎じて曰わく、善いかな善いかな。乃至文字語言有ること無し。是れ真に不二法門に入るなり、と。 是の入不二法門品を説く時、此の衆中の五千の菩薩、皆不二法門に入り、無生法忍を得たり。
現代語訳
珠頂王菩薩は言いました。正道と邪道を二つとします。正道に住する者は、これが邪、これが正と分別しません。この二つを離れる者は、不二の法門に入ります。 楽実菩薩は言いました。実と不実を二つとします。実を見る者は、実さえ見ません。まして実でないものを見るはずがありません。なぜなら、それは肉眼で見るものではなく、智慧の眼がはじめて見るものだからです。しかもこの智慧の眼は、見ることも、見ないこともありません。これが不二の法門に入るということです。 このように菩薩たちがそれぞれ説き終えて、文殊師利に尋ねました。菩薩が不二の法門に入るとは、どういうことですか。 文殊師利は言いました。私の考えでは、あらゆる法について、言葉もなく、説くこともなく、示すこともなく、識ることもなく、あらゆる問答を離れること、これが不二の法門に入ることです。そして文殊師利は維摩詰に尋ねました。私たちはそれぞれ説き終えました。あなたも説いてください。菩薩が不二の法門に入るとは、どういうことですか。 そのとき維摩詰は、黙ったまま何も言いませんでした。 文殊師利は感嘆して言いました。素晴らしい、素晴らしい。文字も言葉もまったくないことこそ、真に不二の法門に入ることです。 この入不二法門品が説かれたとき、会衆の中の五千の菩薩が、みな不二の法門に入り、無生法忍を得ました。
解説

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