碧巌録 / 第八十四則
維摩詰令諸大菩薩各說不二法門。時三十二菩薩。皆以二見有為無為真俗二諦。合為一見。為不二法門。後問文殊。文殊云。如我意者。於一切法。無言無說。無示無識。離諸問答。是為入不二法門。蓋為三十二人以言遣言。文殊以無言遣言。一時掃蕩總不要。是為入不二法門。殊不知靈龜曳尾。拂迹成痕。又如掃箒掃塵相似。塵雖去。箒迹猶存。末後依前除蹤跡。於是文殊却問維摩詰云。我等各自說已。仁者當自說。何等是菩薩入不二法門。維摩詰默然。若是活漢。終不去死水裏浸却。若作恁麼見解。似狂狗逐塊。
新字:維摩詰令諸大菩薩各説不二法門。時三十二菩薩。皆以二見有為無為真俗二諦。合為一見。為不二法門。後問文殊。文殊云。如我意者。於一切法。無言無説。無示無識。離諸問答。是為入不二法門。蓋為三十二人以言遣言。文殊以無言遣言。一時掃蕩総不要。是為入不二法門。殊不知霊亀曳尾。払迹成痕。又如掃箒掃塵相似。塵雖去。箒迹猶存。末後依前除蹤跡。於是文殊却問維摩詰云。我等各自説已。仁者当自説。何等是菩薩入不二法門。維摩詰黙然。若是活漢。終不去死水裏浸却。若作恁麼見解。似狂狗逐塊。
書き下し
維摩詰、諸の大菩薩をして各おの不二法門を説かしむ。時に三十二菩薩、皆な二見の有為無為、真俗二諦を以て、合して一見と為して、不二法門と為す。後に文殊に問ふ。文殊云く、「我が意の如きは、一切法に於て、言無く説無く、示無く識無く、諸の問答を離る、是れを不二法門に入ると為す」と。蓋し三十二人は言を以て言を遣り、文殊は無言を以て言を遣り、一時に掃蕩して総に要せざるが為なり、是れを不二法門に入ると為す。殊に知らず、霊亀尾を曳きて、迹を払うて痕を成すことを。又た掃箒もて塵を掃ふが如くに相似たり、塵は去ると雖も、箒の迹猶ほ存す。末後依前として蹤跡を除く。是に於て文殊却つて維摩詰に問うて云く、「我等各自に説き已んぬ、仁者当に自ら説くべし、何等か是れ菩薩、不二法門に入る」と。維摩詰黙然たり。若し是れ活漢ならば、終に死水裏に去いて浸却せじ。若し恁麼の見解を作さば、狂狗の塊を逐ふに似たり。
現代語訳
維摩詰は大菩薩たちにそれぞれ不二の法門を説かせた。その時、三十二人の菩薩はみな、有為と無為、真諦と俗諦という二つの見方を合わせて一つとし、それを不二の法門とした。最後に文殊に問うた。文殊は言った。「わたしの考えでは、一切の法について、言うこともなく説くこともなく、示すこともなく知ることもなく、あらゆる問答を離れること、これが不二の法門に入ることです」。思うに三十二人は言葉で言葉を払い、文殊は無言で言葉を払い、一挙に掃き清めて何も要らないとした。これを不二の法門に入るとしたのである。ところが、霊妙な亀が尾を引きずり、足跡を払ってかえって痕をつけることを、まるで知らない。また箒で塵を掃くのに似て、塵は去っても箒の跡はなお残る。最後にはやはりその跡を除くのである。そこで文殊はかえって維摩詰に問うて言った。「わたしたちはそれぞれ説き終えました。あなたこそ自ら説くべきです。菩薩が不二の法門に入るとは、どういうことですか」。維摩詰は黙然としていた。生きた男であれば、決して淀んだ水に浸かり込んだりはしない。もしそのような見方をするなら、狂った犬が投げられた土くれを追いかけるようなものだ。
解説
この章句が説くこと
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