維摩経 / 不思議品第六(1)
爾時舍利弗。見此室中無有床座。作是念。斯諸菩薩大弟子眾當於何坐。長者維摩詰知其意。語舍利弗言。云何仁者。為法來耶求床座耶。舍利弗言。我為法來非為床座。維摩詰言。唯舍利弗。夫求法者不貪軀命。何況床座。夫求法者。非有色受想行識之求。非有界入之求。非有欲色無色之求。唯舍利弗。夫求法者。不著佛求不著法求不著眾求。夫求法者。無見苦求無斷集求。無造盡證修道之求。所以者何。法無戲論。若言我當見苦斷集證滅修道。是則戲論非求法也。唯舍利弗。法名寂滅。若行生滅是求生滅非求法也。法名無染。若染於法乃至涅槃。是則染著非求法也。法無行處。若行於法是則行處非求法也。法無取捨。若取捨法是則取捨非求法也。法無處所。若著處所。是則著處非求法也。法名無相。若隨相識是則求相非求法也。法不可住。若住於法是則住法非求法也。法不可見聞覺知。若行見聞覺知。是則見聞覺知非求法也。法名無為。若行有為是求有為非求法也。是故舍利弗。若求法者。於一切法應無所求。說是語時。五百天子於諸法中得法眼淨。
新字:爾時舎利弗。見此室中無有床座。作是念。斯諸菩薩大弟子衆当於何坐。長者維摩詰知其意。語舎利弗言。云何仁者。為法来耶求床座耶。舎利弗言。我為法来非為床座。維摩詰言。唯舎利弗。夫求法者不貪躯命。何況床座。夫求法者。非有色受想行識之求。非有界入之求。非有欲色無色之求。唯舎利弗。夫求法者。不著仏求不著法求不著衆求。夫求法者。無見苦求無断集求。無造尽証修道之求。所以者何。法無戯論。若言我当見苦断集証滅修道。是則戯論非求法也。唯舎利弗。法名寂滅。若行生滅是求生滅非求法也。法名無染。若染於法乃至涅槃。是則染著非求法也。法無行処。若行於法是則行処非求法也。法無取捨。若取捨法是則取捨非求法也。法無処所。若著処所。是則著処非求法也。法名無相。若随相識是則求相非求法也。法不可住。若住於法是則住法非求法也。法不可見聞覚知。若行見聞覚知。是則見聞覚知非求法也。法名無為。若行有為是求有為非求法也。是故舎利弗。若求法者。於一切法応無所求。説是語時。五百天子於諸法中得法眼浄。
書き下し
爾の時、舎利弗、此の室中に床座無きを見て、是の念を作す、「斯の諸の菩薩・大弟子衆は当に何に於いてか坐すべき」と。長者維摩詰、其の意を知りて舎利弗に語りて言わく、「云何ぞ、仁者、法の為に来たるや、床座を求めて来たるや」と。舎利弗言わく、「我れ法の為に来たる、床座の為に非ず」と。維摩詰言わく、「唯、舎利弗よ、夫れ法を求むる者は、軀命を貪らず。何ぞ況んや床座をや。夫れ法を求むる者は、色・受・想・行・識の求むる有るに非ず、界・入の求むる有るに非ず、欲・色・無色の求むる有るに非ず。唯、舎利弗よ、夫れ法を求むる者は、仏に著して求めず、法に著して求めず、衆に著して求めず。夫れ法を求むる者は、苦を見るの求め無く、集を断ずるの求め無く、滅を造り証し道を修するの求め無し。所以は何ん。法には戯論無し。若し我れ当に苦を見、集を断じ、滅を証し、道を修すべしと言わば、是れ則ち戯論にして法を求むるに非ず。唯、舎利弗よ、法を寂滅と名づく。若し生滅を行ぜば、是れ生滅を求むるにして法を求むるに非ず。法を無染と名づく。若し法に染まり、乃至涅槃にも染まらば、是れ則ち染著にして法を求むるに非ず。法には行処無し。若し法を行ぜば、是れ則ち行処にして法を求むるに非ず。法には取捨無し。若し法を取捨せば、是れ則ち取捨にして法を求むるに非ず。法には処所無し。若し処所に著せば、是れ則ち著処にして法を求むるに非ず。法を無相と名づく。若し相に随いて識らば、是れ則ち相を求むるにして法を求むるに非ず。法は住すべからず。若し法に住せば、是れ則ち法に住するにして法を求むるに非ず。法は見聞覚知すべからず。若し見聞覚知を行ぜば、是れ則ち見聞覚知にして法を求むるに非ず。法を無為と名づく。若し有為を行ぜば、是れ有為を求むるにして法を求むるに非ず。是の故に、舎利弗、若し法を求むる者は、一切法に於いて応に求むる所無かるべし」と。是の語を説く時、五百の天子、諸法の中に於いて法眼浄を得たり。
現代語訳
そのとき舎利弗は、この部屋に座る場所がないのを見て、こう思いました。「この菩薩たちや大弟子たちは、どこに座ればよいのだろうか。」長者の維摩詰はその思いを知り、舎利弗に言いました。「どうしたのですか、あなたは。法のために来たのですか、それとも座る場所を求めて来たのですか。」舎利弗は言いました。「私は法のために来ました。座る場所のためではありません。」維摩詰は言いました。「舎利弗よ、法を求める者は、自分の身体や命をさえ貪りません。まして座る場所などなおさらです。法を求める者は、色・受・想・行・識の五つのまとまりを求めるのではありません。十八界や十二入を求めるのでもありません。欲界・色界・無色界を求めるのでもありません。舎利弗よ、法を求める者は、仏に執着して求めず、法に執着して求めず、僧衆に執着して求めません。法を求める者には、苦を見ようという求めもなく、苦の原因を断とうという求めもなく、滅を実現し道を修めようという求めもありません。なぜなら、法にはむだな議論(戯論)がないからです。もし私は苦を見て、原因を断ち、滅を証し、道を修めようと言うなら、それは戯論であって、法を求めているのではありません。舎利弗よ、法は寂滅と名づけられます。もし生じたり滅したりすることを行うなら、それは生滅を求めているのであって、法を求めているのではありません。法は汚れに染まらないと名づけられます。もし法に染まり、涅槃にさえ染まるなら、それは染まり執着しているのであって、法を求めているのではありません。法には行うべき場所がありません。もし法を行うなら、それは行う場所を持つことであって、法を求めているのではありません。法には取ることも捨てることもありません。もし法を取ったり捨てたりするなら、それは取捨であって、法を求めているのではありません。法には所在する場所がありません。もし場所に執着するなら、それは場所への執着であって、法を求めているのではありません。法は無相と名づけられます。もし姿かたちに従って識別するなら、それは姿を求めているのであって、法を求めているのではありません。法はとどまることができません。もし法にとどまるなら、それは法にとどまっているのであって、法を求めているのではありません。法は見たり聞いたり感じたり知ったりできるものではありません。もし見聞覚知を行うなら、それは見聞覚知であって、法を求めているのではありません。法は無為と名づけられます。もし有為を行うなら、それは有為を求めているのであって、法を求めているのではありません。だから舎利弗よ、法を求める者は、すべての法に対して何も求めるところがないはずです。」この言葉が説かれたとき、五百人の天子が、あらゆる法において、法眼の清らかさ(法眼浄)を得ました。
解説

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