呻吟語 / 外篇・治道・百官逸すれば則ち君勞す
為堯舜之民者逸於堯舜之臣,唐、虞世界全靠四岳、九官、十二牧,當時君民各享無為之業而已。臣勞之系於國家也,大哉!是故百官逸則君勞,而天下不得其所。
新字:為堯舜之民者逸於堯舜之臣,唐、虞世界全靠四岳、九官、十二牧,当時君民各享無為之業而已。臣労之系於国家也,大哉!是故百官逸則君労,而天下不得其所。
書き下し
堯舜の民為る者は堯舜の臣より逸なり。唐・虞の世界は全く四岳・九官・十二牧に靠る。當時の君民は各おの無為の業を享くるのみ。臣の勞の國家に系かるや、大なるかな。是の故に百官逸すれば則ち君勞して、天下其の所を得ず。
現代語訳
堯舜の民であることは、堯舜の臣であるより楽です。唐虞の世界はまったく四岳と九官と十二牧に頼っていました。当時の君と民は、それぞれ無為の業を享受しただけです。臣の労が国家に懸かるのは、大きいことです。だから百官が楽をすれば君が労し、天下は居場所を得ません。
解説
働く者を、上でも下でもなく中間に置きます。堯舜の世で楽だったのは君と民で、労したのは臣でした。四岳と九官と十二牧が担っていたわけです。無為の治とは、誰も働かないことではなく、中間が働いて上下が楽になることだと示されます。そして逆が示されます。百官が楽をすれば君が労し、天下は居場所を得ない。中間の働きが要という一段です。
この章句が説くこと
無為中間百官分担逆転
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