修証義 / 第三章 受戒入位
諸佛の常に此中に住持たる、各各の方面に知覺を遺さず群生の長へに此中に使用する。各各の知覺に方面露れず。是時十方法界の土地草木、牆壁瓦礫、皆佛事を作すを以て、其起す所の風水の利益に預る輩、皆甚妙不可思議の佛化に冥資せられて、親き悟を顯はす。是を無爲の功德とす。是を無作の功德とす。是れ發菩提心なり。
新字:諸仏の常に此中に住持たる、各各の方面に知覚を遺さず群生の長へに此中に使用する。各各の知覚に方面露れず。是時十方法界の土地草木、牆壁瓦礫、皆仏事を作すを以て、其起す所の風水の利益に預る輩、皆甚妙不可思議の仏化に冥資せられて、親き悟を顕はす。是を無為の功徳とす。是を無作の功徳とす。是れ発菩提心なり。
書き下し
諸仏の常に此中に住持たる、各各の方面に知覚を遺さず群生の長へに此中に使用する。各各の知覚に方面露れず。是時十方法界の土地草木、牆壁瓦礫、皆仏事を作すを以て、其起す所の風水の利益に預る輩、皆甚妙不可思議の仏化に冥資せられて、親き悟を顕はす。是を無為の功徳とす。是を無作の功徳とす。是れ発菩提心なり。
現代語訳
諸仏が常にこの中に住しておられながら、それぞれの場所に知覚の跡を残さず、衆生が永くこの中で用いながら、それぞれの知覚にその場所が現れない。このとき、十方の世界の土地や草木、垣根や壁、瓦や小石まで、みな仏の働きをなしている。そこから起こる風や水の恵みにあずかる者たちは、みな甚だ妙なる思い計りがたい仏の教化にひそかに助けられて、身近な悟りを現すのである。これを、はからいのない功徳とする。これを、作為のない功徳とする。これが悟りを求める心を起こすということである。
解説
修証義の中でも難解な節で、道元の『正法眼蔵』弁道話を出典とする。戒を受けて仏の位に入ったとき、世界のすべてが仏の働きをしているように見えてくる、という境地を描いている。垣根も壁も、瓦も小石も、そこに気づく人にとっては教えになる。無為・無作は、自分が何かをしたという意識がないまま働く功徳である。身の回りのありふれた物事から学ぶ姿勢を持つと、同じ景色がまったく違って見えてくる。
この章句が説くこと
無為無作仏事草木国土気づき弁道話
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