維摩経 / 弟子品第三(10)
佛告阿難。汝行詣維摩詰問疾。阿難白佛言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念昔時世尊身小有疾當用牛乳。我即持鉢詣大婆羅門家門下立。時維摩詰來謂我言。唯阿難。何為晨朝持鉢住此。我言。居士。世尊身小有疾當用牛乳。故來至此。維摩詰言。止止阿難。莫作是語。如來身者金剛之體。諸惡已斷眾善普會。當有何疾當有何惱。默往阿難。勿謗如來。莫使異人聞此麁言。無令大威德諸天及他方淨土諸來菩薩得聞斯語。阿難。轉輪聖王以少福故尚得無病。豈況如來無量福會普勝者哉。行矣阿難。勿使我等受斯恥也。外道梵志若聞此語當作是念。何名為師。自疾不能救而能救諸疾。仁可密速去勿使人聞。當知阿難。諸如來身即是法身非思欲身。佛為世尊過於三界。佛身無漏諸漏已盡。佛身無為不墮諸數。如此之身當有何疾當有何惱。時我世尊實懷慚愧。得無近佛而謬聽耶。即聞空中聲曰。阿難。如居士言。但為佛出五濁惡世。現行斯法度脫眾生。行矣阿難。取乳勿慚。世尊。維摩詰智慧辯才為若此也。是故不任詣彼問疾。如是五百大弟子。各各向佛說其本緣。稱述維摩詰所言。皆曰不任詣彼問疾。
新字:仏告阿難。汝行詣維摩詰問疾。阿難白仏言。世尊。我不堪任詣彼問疾。所以者何。憶念昔時世尊身小有疾当用牛乳。我即持鉢詣大婆羅門家門下立。時維摩詰来謂我言。唯阿難。何為晨朝持鉢住此。我言。居士。世尊身小有疾当用牛乳。故来至此。維摩詰言。止止阿難。莫作是語。如来身者金剛之体。諸悪已断衆善普会。当有何疾当有何悩。黙往阿難。勿謗如来。莫使異人聞此麁言。無令大威徳諸天及他方浄土諸来菩薩得聞斯語。阿難。転輪聖王以少福故尚得無病。豈況如来無量福会普勝者哉。行矣阿難。勿使我等受斯恥也。外道梵志若聞此語当作是念。何名為師。自疾不能救而能救諸疾。仁可密速去勿使人聞。当知阿難。諸如来身即是法身非思欲身。仏為世尊過於三界。仏身無漏諸漏已尽。仏身無為不堕諸数。如此之身当有何疾当有何悩。時我世尊実懐慚愧。得無近仏而謬聴耶。即聞空中声曰。阿難。如居士言。但為仏出五濁悪世。現行斯法度脱衆生。行矣阿難。取乳勿慚。世尊。維摩詰智慧弁才為若此也。是故不任詣彼問疾。如是五百大弟子。各各向仏説其本縁。称述維摩詰所言。皆曰不任詣彼問疾。
書き下し
仏、阿難に告げたまわく、「汝、行きて維摩詰に詣りて疾を問え」と。阿難、仏に白して言さく、「世尊、我は彼に詣りて疾を問うに堪任せず。所以は何ん。憶念するに昔時、世尊、身に小しく疾有りて、当に牛乳を用うべし。我即ち鉢を持ちて大婆羅門の家の門下に詣りて立てり。時に維摩詰来たりて我に謂いて言わく、『唯、阿難よ、何為れぞ晨朝に鉢を持ちて此に住する』と。我言わく、『居士よ、世尊、身に小しく疾有りて、当に牛乳を用うべし。故に来たりて此に至れり』と。維摩詰言わく、『止みね止みね、阿難。是の語を作すこと莫かれ。如来の身は金剛の体なり。諸悪已に断じ、衆善普く会す。当に何の疾有るべき、当に何の悩み有るべき。默して往け、阿難。如来を謗ること勿かれ。異人をして此の麁言を聞かしむること莫かれ。大威徳の諸天及び他方浄土より来たれる諸の菩薩をして、斯の語を聞くを得せしむること無かれ。阿難よ、転輪聖王は少福を以ての故に尚お病無きを得。豈に況んや如来の無量の福の会して普く勝れたる者をや。行け、阿難。我らをして斯の恥を受けしむること勿かれ。外道梵志、若し此の語を聞かば、当に是の念を作すべし、何ぞ名づけて師と為さん、自らの疾すら救う能わずして、能く諸の疾を救うやと。仁、密かに速やかに去りて、人をして聞かしむること勿かれ。当に知るべし、阿難、諸の如来の身は即ち是れ法身にして、思欲の身に非ず。仏は世尊として三界に過ぎたり。仏身は無漏にして、諸漏已に尽く。仏身は無為にして、諸数に堕せず。此の如きの身に、当に何の疾有るべき、当に何の悩み有るべき』と。時に我れ、世尊に実に慚愧を懐き、仏に近づきて謬りて聴けるに得無きやと。即ち空中の声を聞くに曰わく、『阿難よ、居士の言の如し。但仏の五濁悪世に出で、斯の法を現行して衆生を度脱せんが為なり。行け、阿難。乳を取りて慚ずること勿かれ』と。世尊、維摩詰の智慧弁才、若此の如くなり。是の故に彼に詣りて疾を問うに任せず」と。是の如く五百の大弟子、各各仏に向かいて其の本縁を説き、維摩詰の言う所を称述して、皆曰わく、彼に詣りて疾を問うに任せず、と。
現代語訳
仏は阿難に告げられました。「あなたが維摩詰のところへ行って、病気を見舞いなさい。」阿難は仏に申し上げました。「世尊、私は彼のもとへ見舞いに行くことに堪えません。なぜなら、昔のことを思い出すからです。あるとき世尊のお体に少し病があり、牛乳が必要でした。私は鉢を持って、大バラモンの家の門の下に立っていました。そこへ維摩詰が来て、私にこう言いました。『阿難よ、なぜ朝早くから鉢を持ってここに立っているのですか。』私は言いました。『居士よ、世尊のお体に少し病があり、牛乳が必要なのです。それでここに来ました。』維摩詰は言いました。『おやめなさい、おやめなさい、阿難。そのようなことを言ってはいけません。如来の身体は金剛のようなものです。あらゆる悪はすでに断たれ、あらゆる善が広く集まっています。どうして病があり、悩みがありましょうか。黙って行きなさい、阿難。如来を謗ってはなりません。他の人にこの粗い言葉を聞かせてはいけません。大いなる威徳をもつ諸天や、他の浄土から来た菩薩たちに、この言葉を聞かせてはなりません。阿難よ、転輪聖王でさえ、わずかな福徳によって病がないのです。まして、無量の福が集まって、あまねくすぐれた如来はなおさらです。行きなさい、阿難。私たちにこのような恥をかかせないでください。外道の修行者がこの言葉を聞けば、こう思うでしょう。どうして師と呼べようか、自分の病さえ救えないのに、他の人々の病を救えるのか、と。どうか、そっと速やかに去って、人に聞かれないようにしてください。知っておきなさい、阿難。諸々の如来の身体はそのまま法身であって、欲望から生じた身ではありません。仏は世尊として、三界を超えておられます。仏の身は無漏であり、もろもろの煩悩の漏れはすでに尽きています。仏の身は無為であり、数え上げられる枠に落ちることがありません。このような身体に、どうして病があり、悩みがありましょうか。』そのとき私は、世尊に対して本当に恥じ入る思いがし、仏のそばにいながら聞き違えたのではないか、と思いました。するとすぐに、空中から声が聞こえて言いました。『阿難よ、居士の言うとおりです。ただ、仏が五濁の悪世に出て、この法をあらわして行い、衆生を救い出すために、病を現しておられるのです。行きなさい、阿難。牛乳を取って、恥じることはありません。』世尊、維摩詰の智慧と弁舌は、これほどのものです。それゆえ私は彼のもとへ見舞いに行くことに堪えません。」このようにして五百人の大弟子が、それぞれ仏に向かって自分のいきさつを語り、維摩詰の言葉をたたえて、みな、彼のもとへ見舞いに行くことに堪えない、と申し上げました。
解説

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