養生訓 / 巻第八・灸治
一灸に用ふる火は、水晶を天日にかゞやかし、艾を以て下に受けて火を取るべし。又燧を以て、白石或は水晶をうちて火を出すべし。火を取りて後、香油を燈に點じて、艾炷に其燈の火をつくべし。或は香油にて紙燭をともして、灸炷を先身につけ置きて、紙燭の火を附くべし。松柏枳橘楡棗桑竹、此八木の火を忌むべし。用ふべからず。
新字:一灸に用ふる火は、水晶を天日にかゞやかし、艾を以て下に受けて火を取るべし。又燧を以て、白石或は水晶をうちて火を出すべし。火を取りて後、香油を灯に点じて、艾炷に其灯の火をつくべし。或は香油にて紙燭をともして、灸炷を先身につけ置きて、紙燭の火を附くべし。松柏枳橘楡棗桑竹、此八木の火を忌むべし。用ふべからず。
書き下し
一灸に用ふる火は、水晶を天日にかがやかし、艾を以て下に受けて火を取るべし。又燧を以て、白石或は水晶をうちて火を出すべし。火を取りて後、香油を灯に点じて、艾炷に其灯の火をつくべし。或は香油にて紙燭をともして、灸炷を先身につけ置きて、紙燭の火を附くべし。松柏枳橘楡棗桑竹、此八木の火を忌むべし。用ふべからず。
現代語訳
灸に用いる火は、水晶を日光にかざし、艾で下に受けて火を取るのがよいでしょう。また火打ち金で白い石や水晶を打って火を出すのがよいでしょう。火を取った後、香油を灯にともして、その灯の火を艾炷につけるべきです。あるいは香油で紙燭をともし、艾炷をまず体に置いてから、紙燭の火をつけるべきです。松、柏、枳、橘、楡、棗、桑、竹、この八種の木の火は忌むべきです。用いてはいけません。
解説
灸に用いる火の取り方を述べた条です。水晶で日光を集める、火打ちで火を出す、香油の灯や紙燭から火を移すといった方法を示し、松や桑など八種の木の火を忌めと述べています。八木の火を忌む説は中国の灸法の伝承に由来するもので、火の清らかさを重んじる考えの表れでしょう。今では灸に使う火に特別な作法を求めることはありませんが、体に直接ふれる手当てに用いる物を清らかに整えるという心がけは、衛生の面からも理にかなっています。
この章句が説くこと
灸火作法伝承衛生
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