養生訓 / 巻第八・灸治
一昔より、近江の膽吹山、下野の標茅が原を艾葉の名產とし、今も多く切りて賣る。古歌にも、此兩處のもぐさを詠めり。名所の產なりとも、取る時過ぎてのび過ぎたるは用ひがたし。他所の產も、地よくして葉うるはしくば、用ふべし。
新字:一昔より、近江の胆吹山、下野の標茅が原を艾葉の名産とし、今も多く切りて売る。古歌にも、此両処のもぐさを詠めり。名所の産なりとも、取る時過ぎてのび過ぎたるは用ひがたし。他所の産も、地よくして葉うるはしくば、用ふべし。
書き下し
一昔より、近江の胆吹山、下野の標茅が原を艾葉の名産とし、今も多く切りて売る。古歌にも、此両処のもぐさを詠めり。名所の産なりとも、取る時過ぎてのび過ぎたるは用ひがたし。他所の産も、地よくして葉うるはしくば、用ふべし。
現代語訳
昔から、近江の伊吹山と下野の標茅が原を艾の名産地とし、今も多く刈って売っています。古歌にも、この二つの所のもぐさを詠んでいます。名所の産であっても、採る時期を過ぎて伸びすぎたものは用いにくいのです。ほかの所の産でも、土地がよくて葉が美しければ用いるべきです。
解説
艾の名産地として近江の伊吹山と下野の標茅が原を挙げた短い条です。伊吹山のもぐさは古くから知られ、『百人一首』にも「かくとだにえやはいぶきのさしも草」の歌があります。益軒は名所の産でも時期を過ぎたものは使えず、ほかの土地のものでも質がよければ用いよと、名前より中身を重んじる姿勢を示しています。産地や評判にとらわれず、物そのものの質を見て選ぶという考え方は、今の食品や日用品の選び方にもそのまま当てはまる実際的な知恵です。
この章句が説くこと
艾産地品質選択本草
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