養生訓 / 巻第七・用薬
一丸藥上焦の病には、細にしてやはらかに早く化しやすきがよし。中焦の藥は、小丸にして堅かるべし。下焦の藥は、大丸にして堅きがよし。是頤生微論の說なり。又湯は久しき病に用ふ、散は急なる病に用ふ、丸はゆるやかなる病に用ふる事、東垣が珍珠囊に見えたり。
新字:一丸薬上焦の病には、細にしてやはらかに早く化しやすきがよし。中焦の薬は、小丸にして堅かるべし。下焦の薬は、大丸にして堅きがよし。是頤生微論の説なり。又湯は久しき病に用ふ、散は急なる病に用ふ、丸はゆるやかなる病に用ふる事、東垣が珍珠嚢に見えたり。
書き下し
一丸薬上焦の病には、細にしてやはらかに早く化しやすきがよし。中焦の薬は、小丸にして堅かるべし。下焦の薬は、大丸にして堅きがよし。是頤生微論の説なり。又湯は久しき病に用ふ、散は急なる病に用ふ、丸はゆるやかなる病に用ふる事、東垣が珍珠嚢に見えたり。
現代語訳
丸薬は、上焦の病には、細かくやわらかで早く溶けやすいものがよいのです。中焦の薬は、小さな丸薬で堅いのがよいでしょう。下焦の薬は、大きな丸薬で堅いのがよいのです。これは『頤生微論』の説です。また湯は長い病に用い、散は急な病に用い、丸はゆるやかな病に用いることが、李東垣の『珍珠嚢』に見えます。
解説
前の条に続き、上焦・中焦・下焦という体の上中下の部位に応じて丸薬の形と堅さを変えよという『頤生微論』の説を紹介した条です。また湯・散・丸の使い分けについて李東垣の『珍珠嚢』の説も添えています。前の条で益軒は急病には湯、ゆるやかな病には丸と述べていましたが、ここでは異なる医書の説もそのまま記しています。自分の説と違う見方も含めて資料を示すことで、読む人が自ら考えられるようにしているとも読める一条です。
この章句が説くこと
丸薬三焦医書剤形比較
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