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養生訓 / 巻第七・用薬

一今世の俗は、利湯をも、煎じたる滓に、水一盞入れて半分に煎じ別に煎じたると合せ服す。利湯は、かくの如く滓まで熟し過しては、煎力よわくして病をせむるにちからなし。一度煎じて其滓は捨つべし。一生薑を片とするは、生薑根には肢多し。其内、一肢を縱に長く割るに、大小にしたがひて、三片或は四片とすべし。たてに割るべし。或問ふ、生薑、醫書に其おもさ幾分と云はずして幾片と云ふは何ぞや。答曰、新に掘り出せるは生にしておもく、掘り出して日を經たるはかわきて輕ければ、其重さ幾分と定めがたし。故に、幾分と云はずして、幾片と云ふ。

新字:一今世の俗は、利湯をも、煎じたる滓に、水一盞入れて半分に煎じ別に煎じたると合せ服す。利湯は、かくの如く滓まで熟し過しては、煎力よわくして病をせむるにちからなし。一度煎じて其滓は捨つべし。一生薑を片とするは、生薑根には肢多し。其内、一肢を縦に長く割るに、大小にしたがひて、三片或は四片とすべし。たてに割るべし。或問ふ、生薑、医書に其おもさ幾分と云はずして幾片と云ふは何ぞや。答曰、新に掘り出せるは生にしておもく、掘り出して日を経たるはかわきて軽ければ、其重さ幾分と定めがたし。故に、幾分と云はずして、幾片と云ふ。

書き下し

一今世の俗は、利湯をも、煎じたる滓に、水一盞入れて半分に煎じ別に煎じたると合せ服す。利湯は、かくの如く滓まで熟し過しては、煎力よわくして病をせむるにちからなし。一度煎じて其滓は捨つべし。一生薑を片とするは、生薑根には肢多し。其内、一肢を縦に長く割るに、大小にしたがひて、三片或は四片とすべし。たてに割るべし。或問ふ、生薑、医書に其おもさ幾分と云はずして幾片と云ふは何ぞや。答曰、新に掘り出せるは生にしておもく、掘り出して日を経たるはかわきて軽ければ、其重さ幾分と定めがたし。故に、幾分と云はずして、幾片と云ふ。

現代語訳

今の世間の習わしでは、利湯でも、煎じたかすに水一杯を入れて半分に煎じ、別に煎じたものと合わせて飲みます。利湯は、このようにかすまで煮えすぎると、煎じた力が弱くて病を攻める力がありません。一度煎じて、そのかすは捨てるべきです。生姜を「片」とするのは、生姜の根には枝分かれが多いからです。その中の一つの枝を縦に長く割るのに、大小に従って三片あるいは四片とすべきです。縦に割るべきです。ある人が尋ねました。「生姜について、医書にその重さを何分と言わずに何片と言うのはなぜか」。答えて言います。新しく掘り出したものは生で重く、掘り出して日がたったものは乾いて軽いので、その重さを何分と定めがたいのです。ですから、何分と言わずに何片と言うのです。

解説

利湯の二番煎じの弊と、生姜を重さでなく「片」で量る理由を述べた単位です。攻める薬はかすまで煮詰めると力が落ちるので一度きりにせよと、前に述べた生と熟の原則を具体的な習慣に当てはめています。生姜を片で数えるのは、掘りたては重く日がたつと軽くなって重さでは一定しないからだという説明は、物の性質をよく観察した合理的な理由づけです。単位の決め方にも理由があるという見方は、ものを測り比べるときの基本的な考え方として今も通用します。

この章句が説くこと

生姜煎じ方単位合理観察

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