養生訓 / 巻第七・用薬
一には、中華の人は、日本人より生質健に、腸胃つよき故飮食多く、肉を多く食ふ。日本人は、生れつき薄弱にして、腸胃よわく食少く、牛馬犬羊の肉を食ふに宜しからず、かろき物をくらふに宜し。此の故に、藥劑も、昔より小服に調合すと云ふ。是一說なり。されども、中夏の人、日本の人、同じく是人なり。大小强弱少しかはるとも、日本人さほど大におとる事、今の醫の用ふる藥劑の大小の如く、三分の一、五分の一に至るべからず。然れば、日本の藥小服なる事、如此なるべからずと云ふ人あり。一說に、或人の曰、日本は、藥種乏し、わが國になき物多し。遙なるもろこし諸蕃國の異舶に載せ來るを買ひて、價貴し。大服なれば、費多し。こゝを以て、藥劑を大服に合せがたし。
新字:一には、中華の人は、日本人より生質健に、腸胃つよき故飲食多く、肉を多く食ふ。日本人は、生れつき薄弱にして、腸胃よわく食少く、牛馬犬羊の肉を食ふに宜しからず、かろき物をくらふに宜し。此の故に、薬剤も、昔より小服に調合すと云ふ。是一説なり。されども、中夏の人、日本の人、同じく是人なり。大小強弱少しかはるとも、日本人さほど大におとる事、今の医の用ふる薬剤の大小の如く、三分の一、五分の一に至るべからず。然れば、日本の薬小服なる事、如此なるべからずと云ふ人あり。一説に、或人の曰、日本は、薬種乏し、わが国になき物多し。遥なるもろこし諸蕃国の異舶に載せ来るを買ひて、価貴し。大服なれば、費多し。こゝを以て、薬剤を大服に合せがたし。
書き下し
一には、中華の人は、日本人より生質健に、腸胃つよき故飲食多く、肉を多く食ふ。日本人は、生れつき薄弱にして、腸胃よわく食少く、牛馬犬羊の肉を食ふに宜しからず、かろき物をくらふに宜し。此の故に、薬剤も、昔より小服に調合すと云ふ。是一説なり。されども、中夏の人、日本の人、同じく是人なり。大小強弱少しかはるとも、日本人さほど大におとる事、今の医の用ふる薬剤の大小の如く、三分の一、五分の一に至るべからず。然れば、日本の薬小服なる事、如此なるべからずと云ふ人あり。一説に、或人の曰、日本は、薬種乏し、わが国になき物多し。遥なるもろこし諸蕃国の異舶に載せ来るを買ひて、価貴し。大服なれば、費多し。ここを以て、薬剤を大服に合せがたし。
現代語訳
一つには、中国の人は日本人より生まれつき丈夫で、胃腸が強いので飲食が多く、肉を多く食べます。日本人は生まれつき弱く、胃腸が弱くて食が少なく、牛・馬・犬・羊の肉を食べるのに適さず、軽い物を食べるのに適しています。ですから、薬も昔から小さな分量に調合するといいます。これが一つの説です。けれども、中国の人も日本の人も、同じく人です。体の大小や強弱が少し違うとしても、日本人がそれほど大きく劣ることは、今の医者の用いる薬の大小のように、三分の一、五分の一にまで至るはずがありません。ですから、日本の薬が小さな分量であることは、このようであるべきではないと言う人もいます。もう一つの説として、ある人が言うには、日本は薬種が乏しく、わが国にない物が多い。遠い中国や諸外国の船に載せて来るのを買うので、値段が高い。大きな分量にすれば費用が多くかかる。ですから、薬を大きな分量に調合しにくいのだ、と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『慎思録』巻之四吾曹書を読むと雖も、然れども経済の学に通ぜず。故に世の君相、儒生を以て無用の徒と為し、事宜に通ぜずとし、且つ仁義を以て迂闊にして世用に適せずと為す。豈に啻に君相のみ然らんや。世の学を好まざる者、往往にして皆此の如し。是れも亦た吾曹の学術明らかならず、且つ不徳なるに由るなり。然らば則ち世人の学を好まざるは、吾曹も亦た其の罪を半ばにすべきなり。
-
言志四録・言志録 第百七十四条 困弊は治安の久しきに由る国家は食貨に於て遺策無し。園田山林市廛を連ねて、尺地も租入を欠く無し。金銀銅は並びに署を寘きて鋳出し、日に幾万計なるを知らず。而るに当今上下困弊し、財帑足らず。或は謂ふ、奢侈の致す所なりと。余は則ち謂ふ、特に此のみならずと。蓋し治安日久しきを以て、貴賤の人口繁衍し、諸を二百年前に比すれば、恐らくは翅に十数倍のみならず。之を衣食する者は逐年増多し、之を生ずる者は給せず。勢必ず此に至る。然らば則ち困弊此くの如きも、亦治安の久しきに由る。是れ賀すべくして、歎ずべきに非ず。但だ世道の責有る者は、徒らに諸を時運に談じて、之を救ふ所以の方を慮らざるべからず。其の方も亦別法の設くべき無し。唯だ曰ふに過ぎず、「之を食ふ者寡く、之を用ふる者舒かに、之を生ずる者衆く、之を為す者疾し」と。而して制度一たび立ちて、上下之を守り、措置宜しきを得て、士民之を信ずるに至りては、則ち蓋し其の人に存す。
-
『幽夢影』巻上・其の製日に工みに其の價日に賤し天下の器玩の類、其の製日に工みに、其の價日に賤し、民の貧しきを惑ふこと毋かれ。
-
『武士道』第六章 禮儀・優美とは動作の最も経済的なる方法けだし儀礼は、一の結果を得んが為、多年の実験より生じたる最も適切なる方式なり。ここに一事あり、之を為すに、必ずや最良の方法なるものなくんばあらず。而して其の最良の方法は、最も経済に合して、又た最も優美なるものならざるべからず。スペンサー氏は優美の定義を下して、動作の最も経済的なる方法と云ふ。茶道の法とは、茶碗、茶匙、帛紗等を用ふるの定式なり。其法たる、初心の輩には或は倦厭を来すべしと雖、少しく斯道に入らば、直ちに此れぞ時間と労力との最も節約を得たるものなることを知らん。換言せば、此定式は即ち力の利用の最も経済的なるものにして、スペンサーの定理に従へば、最も優美なるものなり。社交的礼法の裏に含蓄せしめたる精神的旨義、即ち『衣服哲学』の用語を借りて云へば、礼儀作法を以て単に外部を被ふの衣服とせる精神修養の功徳は、其外見の示す所に勝りて逈かに大なるものあり。
-
孫子・作戦篇孫子曰く、凡そ兵を用うるの法は、馳車千駟、革車千乗、帯甲十万、千里に糧を饋る。則ち内外の費、賓客の用、膠漆の材、車甲の奉、日に千金を費やし、然る後に十万の師挙がるなり。
-
『五常訓』巻之一・総論一我が儒の道は、経済の道とて、世ををさめ、人をすくふ大道なり。其学は、有用の学とて、まづわが身ををさめて、人ををさめ、人倫の道を行ひ、天下国家のため、天地万物のため、用をなす学問なり。無用の空言にはあらず。ここを以て、道理は人の心に生れつきて、知りやすく行ひやすしといへども、其道の功用の、いたりて大なること、言ふに及ばず。かく大なる道なれば、などか其師なく、教なく、学ばずして、其道明なるべきや。世間のいやしき小芸小技すら、師なく学び無くしては、其わざをなしがたし。いはんや大道をや。故に人たるもの、貴き賤しき、賢し愚なる、ともに聖人の道をたふとびて、明師をもとめ、良友にちかづき、其教にしたがひ、其道をまなばざらんや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る