養生訓 / 巻第七・用薬
一藥劑一服、大小の分量、中夏の古法を考へ、本邦の土宜にかなひて、過不及なかるべし。近古、仲井家には、日本の土地民俗の風氣に宜しとて、藥の重き八分を一服とす。醫家によりて、一匁を一服とす。今の世醫の藥劑は、一服の重さ六七分より一匁に至る。一匁より多きは、稀なり。中夏の藥劑は、醫書を考ふるに、一服三匁より十匁に至る。東垣は、三匁を用ひて一服とせし事あり。中夏の人、煎湯の水を用ふる事は少く、藥一服は大なれば、煎汁甚濃くして、藥力つよく、病を治する事早しと云ふ。然るに、日本の藥如此小服なるは何ぞや。曰、日本の醫の藥劑小服なる故三あり。
新字:一薬剤一服、大小の分量、中夏の古法を考へ、本邦の土宜にかなひて、過不及なかるべし。近古、仲井家には、日本の土地民俗の風気に宜しとて、薬の重き八分を一服とす。医家によりて、一匁を一服とす。今の世医の薬剤は、一服の重さ六七分より一匁に至る。一匁より多きは、稀なり。中夏の薬剤は、医書を考ふるに、一服三匁より十匁に至る。東垣は、三匁を用ひて一服とせし事あり。中夏の人、煎湯の水を用ふる事は少く、薬一服は大なれば、煎汁甚濃くして、薬力つよく、病を治する事早しと云ふ。然るに、日本の薬如此小服なるは何ぞや。曰、日本の医の薬剤小服なる故三あり。
書き下し
一薬剤一服、大小の分量、中夏の古法を考へ、本邦の土宜にかなひて、過不及なかるべし。近古、仲井家には、日本の土地民俗の風気に宜しとて、薬の重き八分を一服とす。医家によりて、一匁を一服とす。今の世医の薬剤は、一服の重さ六七分より一匁に至る。一匁より多きは、稀なり。中夏の薬剤は、医書を考ふるに、一服三匁より十匁に至る。東垣は、三匁を用ひて一服とせし事あり。中夏の人、煎湯の水を用ふる事は少く、薬一服は大なれば、煎汁甚濃くして、薬力つよく、病を治する事早しと云ふ。然るに、日本の薬如此小服なるは何ぞや。曰、日本の医の薬剤小服なる故三あり。
現代語訳
薬一服の大小の分量は、中国の古法を考え、わが国の土地柄にかなって、過不足がないようにすべきです。近ごろ、仲井家では、日本の土地や民の風俗・気風に合うとして、薬の重さ八分を一服とします。医家によっては一匁を一服とします。今の世の医者の薬は、一服の重さ六、七分から一匁です。一匁より多いのはまれです。中国の薬は、医書を考えると、一服三匁から十匁です。李東垣は三匁を一服としたことがあります。中国の人は、煎じ薬に用いる水は少なく、薬一服は大きいので、煎じ汁はたいへん濃く、薬の力が強く、病を治すのが早いといいます。それなのに、日本の薬がこのように小さな分量なのはなぜでしょうか。答えて言います。日本の医者の薬が小さな分量である理由は三つあります。
解説
この章句が説くこと
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