導師導古典を学びたいすべての人に

養生訓 / 巻第七・用薬

一丘處機が、衞生の道ありて長生の藥なしと云へるは、養生の道はあれど、生れつかざるいのちを長くする藥はなし。養生は、只うまれつきたる天年をたもつ道なり。古の人も、術者にたぶらかされて、長生の藥とて用ひし人多かりしかど、其しるしなく、かへつて、藥毒にそこなはれし人あり。是長生の藥なきなり。久しく苦勞して、長生の藥とて用ふれども益なし、信ずべからず。内慾を節にし、外邪をふせぎ、起居をつゝしみ、動靜を時にせば、生れつきたる天年をたもつべし、是養生の道あるなり。丘處機が說は、千古の迷をやぶれり、此說、信ずべし。凡うたがふべきをうたがひ、信ずべきを信ずるは、迷をとく道なり。

新字:一丘処機が、衛生の道ありて長生の薬なしと云へるは、養生の道はあれど、生れつかざるいのちを長くする薬はなし。養生は、只うまれつきたる天年をたもつ道なり。古の人も、術者にたぶらかされて、長生の薬とて用ひし人多かりしかど、其しるしなく、かへつて、薬毒にそこなはれし人あり。是長生の薬なきなり。久しく苦労して、長生の薬とて用ふれども益なし、信ずべからず。内慾を節にし、外邪をふせぎ、起居をつゝしみ、動静を時にせば、生れつきたる天年をたもつべし、是養生の道あるなり。丘処機が説は、千古の迷をやぶれり、此説、信ずべし。凡うたがふべきをうたがひ、信ずべきを信ずるは、迷をとく道なり。

書き下し

一丘処機が、衛生の道ありて長生の薬なしと云へるは、養生の道はあれど、生れつかざるいのちを長くする薬はなし。養生は、只うまれつきたる天年をたもつ道なり。古の人も、術者にたぶらかされて、長生の薬とて用ひし人多かりしかど、其しるしなく、かへつて、薬毒にそこなはれし人あり。是長生の薬なきなり。久しく苦労して、長生の薬とて用ふれども益なし、信ずべからず。内慾を節にし、外邪をふせぎ、起居をつつしみ、動静を時にせば、生れつきたる天年をたもつべし、是養生の道あるなり。丘処機が説は、千古の迷をやぶれり、此説、信ずべし。凡うたがふべきをうたがひ、信ずべきを信ずるは、迷をとく道なり。

現代語訳

丘処機が「衛生の道はあっても長生の薬はない」と言ったのは、養生の道はあるけれども、生まれつきでない命を長くする薬はない、ということです。養生とは、ただ生まれつきの天寿を保つ道です。昔の人も、術者にだまされて長生の薬だといって用いた人が多かったけれども、その効き目はなく、かえって薬の毒にそこなわれた人もいました。これは長生の薬がないからです。長く苦労して長生の薬だといって用いても益はなく、信じてはいけません。内なる欲を節度あるものにし、外からの邪気を防ぎ、起居を慎み、動くことと静かにすることを時に合わせれば、生まれつきの天寿を保つことができます。これが養生の道があるということです。丘処機の説は千古の迷いを破ったもので、この説は信ずべきです。およそ疑うべきことを疑い、信ずべきことを信じるのは、迷いを解く道です。

解説

元代の道士丘処機(長春真人)が、長生を願うチンギス・ハンに答えたと伝わる「衛生の道あって長生の薬なし」という言葉を引いた条です。養生とは与えられた天寿を全うする道であって、寿命そのものを延ばす薬はないと、不老長寿の薬を求める迷いを退けています。欲の節制、外邪の防御、起居の慎み、動静の調和こそが養生の道だという要約は『養生訓』全体の精髄です。疑うべきを疑い信ずべきを信ぜよという結びは、健康情報があふれる今にこそ響きます。

この章句が説くこと

長寿天寿養生迷信節制

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る