養生訓 / 巻第七・用薬
前漢書に、班固が曰、有病不治。常得中醫。云ふ意は、病あれども、もし其の症を明らかにわきまへず、其の脈を詳に察せず、其の藥方を精しく定めがたければ、愼んでみだりに藥を施さず。こゝを以て、病あれども治せざるは中品の醫なり。下醫の、妄に藥を用ひて人をあやまるにまされり。故に病ある時、もし良醫なくば、庸醫の藥を服して身をそこなふべからず。只保養をよく愼しみ、藥を用ひずして、病のおのづから癒ゆるを待つべし。如此すれば、藥毒にあたらずして、はやく癒ゆる病多し。死病は藥を用ひても生きず。下醫は、病と脈と藥を知らざれど病家の求にまかせて、みだりに藥を用ひて多く人をそこなふ。人を忽ちにそこなはざれども、病を助けて、癒ゆる事おそし。
新字:前漢書に、班固が曰、有病不治。常得中医。云ふ意は、病あれども、もし其の症を明らかにわきまへず、其の脈を詳に察せず、其の薬方を精しく定めがたければ、慎んでみだりに薬を施さず。こゝを以て、病あれども治せざるは中品の医なり。下医の、妄に薬を用ひて人をあやまるにまされり。故に病ある時、もし良医なくば、庸医の薬を服して身をそこなふべからず。只保養をよく慎しみ、薬を用ひずして、病のおのづから癒ゆるを待つべし。如此すれば、薬毒にあたらずして、はやく癒ゆる病多し。死病は薬を用ひても生きず。下医は、病と脈と薬を知らざれど病家の求にまかせて、みだりに薬を用ひて多く人をそこなふ。人を忽ちにそこなはざれども、病を助けて、癒ゆる事おそし。
書き下し
前漢書に、班固が曰く、病有りて治せざれば、常に中医を得。云ふ意は、病あれども、もし其の症を明らかにわきまへず、其の脈を詳に察せず、其の薬方を精しく定めがたければ、慎んでみだりに薬を施さず。ここを以て、病あれども治せざるは中品の医なり。下医の、妄に薬を用ひて人をあやまるにまされり。故に病ある時、もし良医なくば、庸医の薬を服して身をそこなふべからず。只保養をよく慎しみ、薬を用ひずして、病のおのづから癒ゆるを待つべし。如此すれば、薬毒にあたらずして、はやく癒ゆる病多し。死病は薬を用ひても生きず。下医は、病と脈と薬を知らざれど病家の求にまかせて、みだりに薬を用ひて多く人をそこなふ。人を忽ちにそこなはざれども、病を助けて、癒ゆる事おそし。
現代語訳
『前漢書』に、班固が「病があっても治療しなければ、常に中程度の医者にかかったのと同じである」と言っています。その意味は、病があっても、もしその症状を明らかに見分けられず、その脈を詳しく察することができず、その処方を細かく定めがたいならば、慎んでみだりに薬を施さないということです。ですから、病があっても治療しないのは中品の医者です。下医がむやみに薬を用いて人を誤らせるのにはまさっています。ですから病のあるとき、もしよい医者がいなければ、つまらない医者の薬を飲んで体をそこなってはいけません。ただ保養をよく慎み、薬を用いずに、病が自然に治るのを待つべきです。このようにすれば、薬の毒にあたらずに、早く治る病が多いのです。死ぬ病は薬を用いても生きません。下医は、病と脈と薬を知らないのに、病家の求めにまかせてむやみに薬を用いて、多くの人をそこないます。すぐに人をそこなわなくても、病を助けて、治るのが遅くなります。
解説
この章句が説くこと
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