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養生訓 / 巻第二・総論下

古人も、血脫して氣を補ふは、古聖人の法なりといへり。人身は、陽常にすくなくして貴く、陰つねに多くしていやし。故に陽を貴びてさかんにすべし。陰をいやしみて抑ふべし。元氣生々すれば、眞陰も亦生ず。陽盛なれば陰自長ず。陽氣を補へば陰血自生ず。もし陰不足を補はんとて、地黄、知母、黃柏等、苦寒の藥を久しく服すれば、元陽をそこなひ、胃氣衰へて、血を滋生せずして、陰血も亦消えぬ。又陽不足を補はんとて、烏附等の毒藥を用ふれば、邪火を助けて、陽氣も亦亡ぶ。是は陽を補ふにはあらず。丹溪が陽有餘陰不足論は、何の經に本づけるや、其本據を見ず。もし、丹溪一人の私言ならば、無稽の言信じ難し。易道の、陽を貴び陰を賤むの理にそむけり。

新字:古人も、血脱して気を補ふは、古聖人の法なりといへり。人身は、陽常にすくなくして貴く、陰つねに多くしていやし。故に陽を貴びてさかんにすべし。陰をいやしみて抑ふべし。元気生々すれば、真陰も亦生ず。陽盛なれば陰自長ず。陽気を補へば陰血自生ず。もし陰不足を補はんとて、地黄、知母、黄柏等、苦寒の薬を久しく服すれば、元陽をそこなひ、胃気衰へて、血を滋生せずして、陰血も亦消えぬ。又陽不足を補はんとて、烏附等の毒薬を用ふれば、邪火を助けて、陽気も亦亡ぶ。是は陽を補ふにはあらず。丹渓が陽有余陰不足論は、何の経に本づけるや、其本拠を見ず。もし、丹渓一人の私言ならば、無稽の言信じ難し。易道の、陽を貴び陰を賤むの理にそむけり。

書き下し

古人も、血脱して気を補ふは、古聖人の法なりといへり。人身は、陽常にすくなくして貴く、陰つねに多くしていやし。故に陽を貴びてさかんにすべし。陰をいやしみて抑ふべし。元気生々すれば、真陰も亦生ず。陽盛なれば陰自長ず。陽気を補へば陰血自生ず。もし陰不足を補はんとて、地黄、知母、黄柏等、苦寒の薬を久しく服すれば、元陽をそこなひ、胃気衰へて、血を滋生せずして、陰血も亦消えぬ。又陽不足を補はんとて、烏附等の毒薬を用ふれば、邪火を助けて、陽気も亦亡ぶ。是は陽を補ふにはあらず。丹渓が陽有余陰不足論は、何の経に本づけるや、其本拠を見ず。もし、丹渓一人の私言ならば、無稽の言信じ難し。易道の、陽を貴び陰を賤むの理にそむけり。

現代語訳

古人も、血が脱けたときに気を補うのは古の聖人の法であると言いました。人の体は、陽は常に少なくて貴く、陰は常に多くて卑しいものです。そのため陽を貴んで盛んにすべきで、陰は卑しんで抑えるべきです。元気が生々とすれば、真陰もまた生じます。陽が盛んであれば陰はおのずから伸び、陽気を補えば陰血はおのずから生じます。もし陰の不足を補おうとして、地黄、知母、黄柏などの苦く冷やす薬を長く服用すれば、元陽を損ない、胃の気が衰えて血を生み育てず、陰血もまた消えてしまいます。また陽の不足を補おうとして、烏頭や附子などの毒薬を用いれば、邪火を助けて陽気もまた滅びます。これは陽を補うことにはなりません。朱丹渓の「陽は余りあり陰は足らず」という論は、どの経典に基づいているのでしょうか。その根拠が見えません。もし丹渓一人の私言であるなら、根拠のない言葉で信じがたいものです。易の道の、陽を貴び陰を卑しむ道理に背いています。

解説

元代の名医朱丹渓(朱震亨)の「陽有余陰不足論」を取り上げ、その根拠を問うています。益軒は、陽気を補えば陰血はおのずから生じるのだから、地黄や黄柏のような苦寒の薬で陰を補い続けるのは胃の気を損なうと批判します。江戸時代の日本では丹渓の流れをくむ医学が広く行われており、益軒はそれに異を唱えたのです。権威ある説でも根拠を問い、易の道理に照らして吟味する姿勢は、今の私たちが情報を読み解くときにも手本になります。

この章句が説くこと

朱丹渓補陰陰陽医学批判

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