養生訓 / 巻第二・総論下
もし陰陽の分數を以て、其の多少をいはば、陰有餘陽不足とは云ふべし、陽有餘陰不足とは云ひがたし。後人其偏見にしたがひて與するは何ぞや。凡識見なければ、其才辨ある說に迷ひて、偏執に泥む。丹溪はまことに振古の名醫なり、醫道に功あり。彼補陰に專なるも、定めて其時の氣運に宜しかりしならん。然れども、醫の聖にあらず、偏僻の論、此外にも猶多し。打まかせて、悉くには信じ難し。功過相半せり。其才學は貴ぶべし。其偏論は信ずべからず。王道は偏なく黨なくして平々なり。丹溪は補陰に偏にして平々ならず、醫の王道とすべからず。近世は人の元氣漸く衰ふ。丹溪が法に從ひ、補陰に專なれば、脾胃をやぶり、元氣をそこなはん。只東垣が脾胃を調理する溫補の法、醫中の王道なるべし。
新字:もし陰陽の分数を以て、其の多少をいはば、陰有余陽不足とは云ふべし、陽有余陰不足とは云ひがたし。後人其偏見にしたがひて与するは何ぞや。凡識見なければ、其才弁ある説に迷ひて、偏執に泥む。丹渓はまことに振古の名医なり、医道に功あり。彼補陰に専なるも、定めて其時の気運に宜しかりしならん。然れども、医の聖にあらず、偏僻の論、此外にも猶多し。打まかせて、悉くには信じ難し。功過相半せり。其才学は貴ぶべし。其偏論は信ずべからず。王道は偏なく党なくして平々なり。丹渓は補陰に偏にして平々ならず、医の王道とすべからず。近世は人の元気漸く衰ふ。丹渓が法に従ひ、補陰に専なれば、脾胃をやぶり、元気をそこなはん。只東垣が脾胃を調理する温補の法、医中の王道なるべし。
書き下し
もし陰陽の分数を以て、其の多少をいはば、陰有余陽不足とは云ふべし、陽有余陰不足とは云ひがたし。後人其偏見にしたがひて与するは何ぞや。凡識見なければ、其才弁ある説に迷ひて、偏執に泥む。丹渓はまことに振古の名医なり、医道に功あり。彼補陰に専なるも、定めて其時の気運に宜しかりしならん。然れども、医の聖にあらず、偏僻の論、此外にも猶多し。打まかせて、悉くには信じ難し。功過相半せり。其才学は貴ぶべし。其偏論は信ずべからず。王道は偏なく党なくして平々なり。丹渓は補陰に偏にして平々ならず、医の王道とすべからず。近世は人の元気漸く衰ふ。丹渓が法に従ひ、補陰に専なれば、脾胃をやぶり、元気をそこなはん。只東垣が脾胃を調理する温補の法、医中の王道なるべし。
現代語訳
もし陰陽の割合でその多少を言うなら、「陰は余りあり陽は足らず」とは言えても、「陽は余りあり陰は足らず」とは言いがたいのです。後の人がその偏った見方に従って賛同するのはなぜでしょうか。およそ見識がなければ、才気と弁舌のある説に迷って、偏った執着にとらわれます。丹渓はまことに古今の名医であり、医道に功績があります。彼が補陰に専念したのも、きっとその時代の気運に合っていたのでしょう。けれども医の聖人ではなく、偏った論はこのほかにもなお多いのです。すっかり任せて、ことごとく信じることはできません。功と過ちが相半ばしています。その才学は貴ぶべきですが、その偏った論は信じてはいけません。王道は偏りも党派もなく平らかです。丹渓は補陰に偏って平らかでなく、医の王道とすべきではありません。近世は人の元気がしだいに衰えています。丹渓の法に従って補陰に専念すれば、脾胃を破り元気を損なうでしょう。ただ李東垣の、脾胃を調えて温め補う法こそ、医の中の王道でしょう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『養生訓』巻第二・総論下古人も、血脱して気を補ふは、古聖人の法なりといへり。人身は、陽常にすくなくして貴く、陰つねに多くしていやし。故に陽を貴びてさかんにすべし。陰をいやしみて抑ふべし。元気生々すれば、真陰も亦生ず。陽盛なれば陰自長ず。陽気を補へば陰血自生ず。もし陰不足を補はんとて、地黄、知母、黄柏等、苦寒の薬を久しく服すれば、元陽をそこなひ、胃気衰へて、血を滋生せずして、陰血も亦消えぬ。又陽不足を補はんとて、烏附等の毒薬を用ふれば、邪火を助けて、陽気も亦亡ぶ。是は陽を補ふにはあらず。丹渓が陽有余陰不足論は、何の経に本づけるや、其本拠を見ず。もし、丹渓一人の私言ならば、無稽の言信じ難し。易道の、陽を貴び陰を賤むの理にそむけり。
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『養生訓』巻第二・総論下明の医の作れる軒岐救生論、類経等の書に、丹渓を甚誹れり。其説頗る理あり。然れども、是亦一偏に僻して、丹渓が長ずる所をあはせて蔑にす。枉れるをためて直に過ぐと云ふべし。凡、古来術者の言往々偏僻多し。近世明季の医殊に此病あり。択んで取捨すべし。只李中梓が説は頗平正にちかし。
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『養生訓』巻第四・慎色慾此の法、孫思邈後世に教へし秘訣にて、明かに千金方にあらはせども、後人其術の保養に益ありて害なき事をしらず。丹渓が如き大医すら偏見にして、孫真人が教を立てし本意を失ひて信ぜず。此良術をそしりて曰、聖賢の心神仙の骨なくんば未だ為し易からず。もし房中を以て補とせば、人を殺す事多からんと、格致余論にいへり。聖賢神仙は世に難有ければ、丹渓が説の如くば此法は行ひがたし。丹渓が説うたかふべき事猶多し。才学高博にして識見偏僻なりと云ふべし。
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『養生訓』巻第六・択医一或曰、病あつて治せず、常に中医を得るといへる道理、誠にしかるべし。然らば、病あらば只上医の薬を服すべし。中下の医の薬は服すべからず。今時上医は有りがたし、多くは中下医なるべし。薬をのまずんば、医は無用の物なるべし、と云ふ。答曰、然らず、病あつてすべて治せず、薬をのむべからずと云ふは、寒熱虚実など、凡病の相似て、まぎらはしく疑はしきむづかしき病をいへり。浅薄なる治しやすき症は、下医といへども能く治す。感冒咳嗽に、参蘇飲風邪発散するに、香蘇散、敗毒散、藿香正気散、食滞に、平胃散、香砂平胃散、かやうの類は、まぎれなくうたがはしからざる病なれば、下医も治しやすし。薬を服して害なかるべし。右の症も、薬しるしなきむづかしき病ならば、薬を用ひずして可なり。
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『養生訓』巻第六・択医一凡諸医の方書、偏説多し。専一人を宗とし、一書を用ひては、治を為しがたし。学者多く方書をあつめ、ひろく異同を考へ、其長ずるを取りて、其短なるを捨て、医療をなすべし。此後才識ある人、世を助くるに志あらば、広く方書をえらび、其重複をけづり、其繁雑なるを除き、其粋美なるをあつめて一書と成さば、純正なる全書となりて、大なる世宝なるべし。此事は其人を待ちて行はるべし。凡近代の方書、医論、脈法、薬方、同じき事甚多し。殊に龔廷賢が方書数部、同じき事多くして、重出しげく煩はし。無用の雑言亦多し。凡病にのぞんでは、多く方書を撿する事煩労なり。急病に対し、遽に広く考へて、其相応せる良方をえらびがたし。同事多く、相似たる書を多くあつめ考ふるもいたづかはし。才学ある人は、無益の事をなして、暇をつひやさんより、かかる有益の事をなして、世を助け給ふべし。世にその才ある人、豈なかるべきや。
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『養生訓』巻第二・総論下一天地の理、陽は一陰は二なり。水は多く火は少し。水はかわきがたく火は消えやすし。人は陽類にて少く、禽獣虫魚は陰類にて多し。此の故に、陽はすくなく、陰は多きこと自然の理なり。すくなきは貴く、多きはいやし。君子は陽類にて少く、小人は陰類にて多し。易道は陽を善として貴び、陰を悪としていやしみ、君子を貴び、小人をいやしむ。水は陰類なり。暑月はへるべくして、ますます多く生ず。寒月は增すべくして、かへつて涸れてすくなし。春夏は陽気盛なる故に水多く生ず。秋冬は陽気衰ふる故水すくなし。血はへれども死なず。気多くへれば忽死す。吐血金瘡産後など、陰血大に失する者は、血を補へば、陽気いよいよ尽きて死す。気を補へば、生命をたもちて、血も自生ず。
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