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養生訓 / 巻第一・総論上

一養生に志あらん人は、心に常に主あるべし。主あれば思慮して是非をわきまへ、忿をおさへ、慾をふさぎて、あやまりすくなし。心に主なければ、思慮なくして、忿と慾をこらへず、恣にしてあやまり多し。一萬の事、一時心に快き事は、必ず後に殃となる。酒食をほしいまゝにすれば、快けれどやがて病となるの類なり。初にこらふれば必ず後のよろこびとなる。灸治をしてあつきをこらふれば、後に病なきが如し。杜牧が詩に、忍過事堪喜といへるは、欲をこらへすまして後はよろこびとなるなり。

新字:一養生に志あらん人は、心に常に主あるべし。主あれば思慮して是非をわきまへ、忿をおさへ、慾をふさぎて、あやまりすくなし。心に主なければ、思慮なくして、忿と慾をこらへず、恣にしてあやまり多し。一万の事、一時心に快き事は、必ず後に殃となる。酒食をほしいまゝにすれば、快けれどやがて病となるの類なり。初にこらふれば必ず後のよろこびとなる。灸治をしてあつきをこらふれば、後に病なきが如し。杜牧が詩に、忍過事堪喜といへるは、欲をこらへすまして後はよろこびとなるなり。

書き下し

一養生に志あらん人は、心に常に主あるべし。主あれば思慮して是非をわきまへ、忿をおさへ、慾をふさぎて、あやまりすくなし。心に主なければ、思慮なくして、忿と慾をこらへず、恣にしてあやまり多し。一万の事、一時心に快き事は、必ず後に殃となる。酒食をほしいままにすれば、快けれどやがて病となるの類なり。初にこらふれば必ず後のよろこびとなる。灸治をしてあつきをこらふれば、後に病なきが如し。杜牧が詩に、忍過事堪喜といへるは、欲をこらへすまして後はよろこびとなるなり。

現代語訳

養生に志のある人は、心に常に主があるべきです。主があれば、思慮して是非をわきまえ、怒りをおさえ、欲をふさいで、過ちが少ないのです。心に主がなければ、思慮がなく、怒りと欲をこらえず、ほしいままにして過ちが多くなります。何事も、一時心に快いことは、必ず後に災いとなります。酒食をほしいままにすれば、快くてもやがて病となるたぐいです。はじめにこらえれば、必ず後の喜びとなります。灸をすえて熱さをこらえれば、後に病がないようなものです。杜牧の詩に、忍び過ぐれば事喜ぶに堪えたり、と言うのは、欲をこらえ通した後は喜びとなるということです。

解説

心に主があるとは、欲や感情に振り回されず、自分で判断する軸を持つことです。朱子学でいう主一、心を一つに保つ修養に通じます。後半では、一時の快楽は後の災い、一時の我慢は後の喜びと対比し、晩唐の詩人杜牧の句を引いています。灸の熱さをこらえれば後に病がないというたとえは、当時の人々に身近な実感でした。目先の快楽と長期の利益を比べて選ぶ力は、健康にも家計にも仕事にも欠かせない判断力です。

この章句が説くこと

心忍欲喜び判断

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