大和俗訓 / 巻之四・心術下
一一指目をおほへば太山不見と、古語にいへり。人の心は、もと明なる物なりといへども、私欲のおほひありて心體をふさげば、くらくして道理に通ぜず。故に心を明かにして是非にまよはざらんことを思はゞ、私欲を去るべし。欲去れば心明なり。本心如日月、嗜欲食之旣と、山谷が詩にも見えたり。
新字:一一指目をおほへば太山不見と、古語にいへり。人の心は、もと明なる物なりといへども、私欲のおほひありて心体をふさげば、くらくして道理に通ぜず。故に心を明かにして是非にまよはざらんことを思はゞ、私欲を去るべし。欲去れば心明なり。本心如日月、嗜欲食之既と、山谷が詩にも見えたり。
書き下し
一一指目をおほへば太山を見ずと、古語にいへり。人の心は、もと明なる物なりといへども、私欲のおほひありて心体をふさげば、くらくして道理に通ぜず。故に心を明かにして是非にまよはざらんことを思はば、私欲を去るべし。欲去れば心明なり。本心は日月の如し、嗜欲之を食して既くと、山谷が詩にも見えたり。
現代語訳
「一本の指が目を覆えば泰山も見えない」と古語にあります。人の心はもともと明るいものですが、私欲の覆いがあって心の本体をふさげば、暗くなって道理に通じません。だから心を明らかにして是非に迷わないようにと思うなら、私欲を去りなさい。欲が去れば心は明るくなります。「本心は日月の如し、嗜欲これを食して既く(本来の心は日や月のように明るいが、欲望がそれを日食のように欠けさせる)」と、黄山谷の詩にも見えます。
解説
頭注によれば「一指目を蔽へば太山を見ず」は『鶡冠子』に見える言葉で、わずかなものでも目の前にあれば大きなものが見えなくなることのたとえです。益軒は、人の心は本来明るいのに、私欲がそれを覆って判断を曇らせると言います。北宋の詩人黄山谷(黄庭堅)の句も、欲が心を日食のように欠けさせると詠んでいます。目先の損得にとらわれて大局を見失うのは、仕事でも投資でもよくあることです。迷ったときは、自分の欲が目を覆っていないかを確かめたいものです。
この章句が説くこと
私欲心明判断道理
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