養生訓 / 巻第一・総論上
一人生五十にいたらざれば、血氣いまだ定まらず、知慮いまだ開けず。古今にうとくして世變になれず、言あやまり多く、行悔多し。人生の理も樂もいまだ知らず。五十にいたらずして死するを夭といふ。是亦不幸短命と云ふべし。長生すれば樂多く益多し。日々にいまだ知らざる事を知り、日々にいまだ能せざる事をよくす。この故に、學問の長進する事も、知識の明達なる事も、長生せざれば得がたし。こゝを以て養生の術を行ひ、いかにもして天年をたもち、五十歳をこえ、成るべきほどは、彌長生して六十以上の壽域に登るべし。古人長生の術ある事をいへり。又人の命は我にあり天にあらずともいへれば、此術に志だにふかくば、長生をたもつ事、人力を以ていかにもなし得べき理あり。うたがふべからず。只氣あらくして、慾を恣にしてこらへず、愼なき人は、長生を得べからず。
新字:一人生五十にいたらざれば、血気いまだ定まらず、知慮いまだ開けず。古今にうとくして世変になれず、言あやまり多く、行悔多し。人生の理も楽もいまだ知らず。五十にいたらずして死するを夭といふ。是亦不幸短命と云ふべし。長生すれば楽多く益多し。日々にいまだ知らざる事を知り、日々にいまだ能せざる事をよくす。この故に、学問の長進する事も、知識の明達なる事も、長生せざれば得がたし。こゝを以て養生の術を行ひ、いかにもして天年をたもち、五十歳をこえ、成るべきほどは、弥長生して六十以上の寿域に登るべし。古人長生の術ある事をいへり。又人の命は我にあり天にあらずともいへれば、此術に志だにふかくば、長生をたもつ事、人力を以ていかにもなし得べき理あり。うたがふべからず。只気あらくして、慾を恣にしてこらへず、慎なき人は、長生を得べからず。
書き下し
一人生五十にいたらざれば、血気いまだ定まらず、知慮いまだ開けず。古今にうとくして世変になれず、言あやまり多く、行悔多し。人生の理も楽もいまだ知らず。五十にいたらずして死するを夭といふ。是亦不幸短命と云ふべし。長生すれば楽多く益多し。日々にいまだ知らざる事を知り、日々にいまだ能せざる事をよくす。この故に、学問の長進する事も、知識の明達なる事も、長生せざれば得がたし。ここを以て養生の術を行ひ、いかにもして天年をたもち、五十歳をこえ、成るべきほどは、弥長生して六十以上の寿域に登るべし。古人長生の術ある事をいへり。又人の命は我にあり天にあらずともいへれば、此術に志だにふかくば、長生をたもつ事、人力を以ていかにもなし得べき理あり。うたがふべからず。只気あらくして、慾を恣にしてこらへず、慎なき人は、長生を得べからず。
現代語訳
人は五十に至らなければ、血気もまだ定まらず、知恵や思慮もまだ開けません。古今のことにうとく、世の移り変わりに慣れず、言葉に誤りが多く、行いに後悔が多いものです。人生の道理も楽しみもまだ知りません。五十に至らずに死ぬのを夭といいます。これもまた不幸短命というべきです。長生きすれば楽しみも多く益も多いのです。日々にまだ知らなかったことを知り、日々にまだできなかったことができるようになります。ですから、学問が進むことも、知識が明らかに通じることも、長生きしなければ得がたいのです。だから養生の術を行い、なんとしても天寿を保ち、五十歳を越え、できるかぎりいよいよ長生きして、六十以上の長寿の域に登るべきです。昔の人は長生きの術があることを言いました。また人の命は自分にあって天にはないとも言うので、この術に志さえ深ければ、長生きを保つことは、人の力でどうにでもなしうる道理があります。疑ってはなりません。ただ気が荒く、欲をほしいままにしてこらえず、慎みのない人は、長生きを得られません。
解説
この章句が説くこと
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『都鄙問答』卷之四・或人天地開闢ノ說ヲ譏ノ段一度我に疑ひ晴るることありて、後に味はふべき所なり。然るに今の世の人、文字に泥み、色々に作為するゆへに、昏々然と闇く、古人の心を知らざるゆへに、和漢ともに、文学他に勝れば、此れを徳と思ひ、我を伐る者多し。文学に伐る者を喩へて云はば、衆人の財宝をたくらべて、彼は劣れり、我は勝れりと伐るに同じ。学者に於ては、恥づべきことの第一なり。如何となれば、財宝も、かせぎ設けて吝くすれば溜る者なり。文字も其の如く、年を重ねて油断なく学べば、他より勝れる者なり。其の中に記憶能くして多く記すは、衆人の中に、仕合せ能く富めるが如し。又学者も、文字を読むのみにては、聖人の意味、神書の奥深き所知らるべきに非ず。然るに文字を滞りなく読めば、此の外も有るまじと思ふべきが、
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『正法眼蔵随聞記』巻二其れをもの知らぬはわるしと、人も思ひ、愚人と自らも覚ゆる事を傷んで、ものを知らんとて、博く内外典を学し、剰さへ世間世俗の事をも知らんと思ふて、諸事を好み学し、あるひは人にも知りたる由をもてなすは、究めて僻事なり、学道のため真実に無用なり、知りたるを知らざる気色するもむつかしくやうがましければ、却てあたる気色にてあしきなり、本とより知らざらんは苦るしからざることなり、
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『君子訓』巻之上一学問は、身を修め人を治むるを有用の学とす。是真の学問なり。もし左もなくて、文字を知るを以て学問とおもひ、多く聞き多く見るに博学多識なりとも、何の益もなき無用の学なるべし。故に唯有用の学を務むべし、無用の学をなすべからず。
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『童子問』卷下問ふ、蔡氏の書伝に載する所の渾天儀の制。曰く、知らざるなり。問ふ、春秋の春王正月の弁。曰く、知らざるなり。童子云ふ、聞く、先生幼より心を経学に留むと。今此の二事に於て知らざる者は、何ぞや。曰く、学に本有り末有り。必ず知らざるべからざる者有り。知るを必せざる所に在る者有り。学術・政体・己を修め人を治むるの術のごときは、是れ本にして必ず知らざるべからず。其の他、進んでは以て人を治むるに足らず、退いては以て己を修むるに足らざる者は、之を知らずと雖も害無し。渾天儀の制は、是れ有司の掌る所。春王正月の弁も、亦学術に益無し。故に左氏も亦伝へず。大凡支干・孤虚・旺相・律呂・隔八相生の属、皆然り。之を陰陽数学を好む者に附して可なり。儒者の先務に非ず。今世の小子、学を為むるの法を知らず。区区として心を此れ等の細務に留む。甚だ不可なり。
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『都鄙問答』卷之一・孝ノ道ヲ問ノ段答ふ、汝も少しは学問を致されしと見えて、孝経を引用すといへども、尽く本意に違へり。父に争子有れば則ち身不義に陥らずとのたまふは、親無道にして欲悪甚だしく、或いは君を弑し、国を奪ひ、下たる者は盗などをなす、大なる不義ある時は、善に遷らしめん為の争ひなり。汝は親に仁義の心有りて人を救ふを、我が不仁不義を以て、拒み争ふと云ふものなり。子としては親を善に導くべきを、反りて悪道へ陥れしむること有るべきや。汝の如く書を見なす者も、学問せし者と云はば、世の人、学問は不仁の本となりと思ふべし。然る時は、学問を廃る罪人なり。元来世間に、書を読むのみを学問と思ひ、書の心を知らざるゆへに、汝が如く見誤ること多し。総て経書は聖人の心なり。聖人の心も我が心も、
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