都鄙問答 / 卷之四・或人天地開闢ノ說ヲ譏ノ段
一度我ニ疑ヒ晴コト有テ、後ニ味フベキ所ナリ、然ルニ今ノ世ノ人、文字ニ泥ミ、色々ニ作爲スルユヘニ、昏々然ト闇ク、古人ノ心ヲ不知ユヘニ、和漢トモニ、文學他ニ勝レバ、此ヲ德ト思ヒ、我ヲ伐ル者多シ、文學ニ伐ル者ヲ喩テ云ハヾ、衆人ノ財寶ヲタクラベテ、彼ハ劣レリ、我ハ勝レリト伐ルニ同ジ、學者ニ於テハ、恥ベキコトノ第一ナリ、如何トナレバ、財寶モ、カセギ設テ吝スレバ溜ル者ナリ、文字モ其如ク、年ヲ重テ油斷ナク學バ、他ヨリ勝レル者ナリ、其中ニ記憶能シテ多ク記ハ衆人ノ中ニ、仕合能富ルガ如シ、又學者モ、文字ヲ讀ノミニテハ、聖人ノ意味、神書ノ奧深キ所知ラルベキニ非ズ、然ルニ文字ヲ滯ナク讀バ、此外モ有マジト思フベキガ、
新字:一度我ニ疑ヒ晴コト有テ、後ニ味フベキ所ナリ、然ルニ今ノ世ノ人、文字ニ泥ミ、色々ニ作為スルユヘニ、昏々然ト闇ク、古人ノ心ヲ不知ユヘニ、和漢トモニ、文学他ニ勝レバ、此ヲ徳ト思ヒ、我ヲ伐ル者多シ、文学ニ伐ル者ヲ喩テ云ハヾ、衆人ノ財宝ヲタクラベテ、彼ハ劣レリ、我ハ勝レリト伐ルニ同ジ、学者ニ於テハ、恥ベキコトノ第一ナリ、如何トナレバ、財宝モ、カセギ設テ吝スレバ溜ル者ナリ、文字モ其如ク、年ヲ重テ油断ナク学バ、他ヨリ勝レル者ナリ、其中ニ記憶能シテ多ク記ハ衆人ノ中ニ、仕合能富ルガ如シ、又学者モ、文字ヲ読ノミニテハ、聖人ノ意味、神書ノ奥深キ所知ラルベキニ非ズ、然ルニ文字ヲ滞ナク読バ、此外モ有マジト思フベキガ、
書き下し
一度我に疑ひ晴るることありて、後に味はふべき所なり。然るに今の世の人、文字に泥み、色々に作為するゆへに、昏々然と闇く、古人の心を知らざるゆへに、和漢ともに、文学他に勝れば、此れを徳と思ひ、我を伐る者多し。文学に伐る者を喩へて云はば、衆人の財宝をたくらべて、彼は劣れり、我は勝れりと伐るに同じ。学者に於ては、恥づべきことの第一なり。如何となれば、財宝も、かせぎ設けて吝くすれば溜る者なり。文字も其の如く、年を重ねて油断なく学べば、他より勝れる者なり。其の中に記憶能くして多く記すは、衆人の中に、仕合せ能く富めるが如し。又学者も、文字を読むのみにては、聖人の意味、神書の奥深き所知らるべきに非ず。然るに文字を滞りなく読めば、此の外も有るまじと思ふべきが、
現代語訳
一度自分の中で疑いが晴れることがあって、その後に味わうべきところなのです。ところが今の世の人は文字に拘泥し、いろいろと作為するので、暗くぼんやりとして古人の心を知りません。だから和漢ともに、学問が人より勝っていれば、それを徳と思って自慢する者が多いのです。学問を自慢する者をたとえて言えば、人々が財宝を比べて、あれは劣っている、自分は勝っていると自慢するのと同じです。学者にとっては恥ずべきことの第一です。なぜなら、財宝も稼いで蓄え、けちにしていれば溜まるものです。文字もそのとおりで、年を重ねて油断なく学べば人より勝るものです。その中で記憶がよくて多く覚えているのは、人々の中で運よく富んでいるようなものです。また学者も、文字を読むだけでは聖人の意味や神書の奥深いところは知ることができません。それなのに文字を滞りなく読めれば、これ以上のものはないと思うのでしょうが、
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻二其れをもの知らぬはわるしと、人も思ひ、愚人と自らも覚ゆる事を傷んで、ものを知らんとて、博く内外典を学し、剰さへ世間世俗の事をも知らんと思ふて、諸事を好み学し、あるひは人にも知りたる由をもてなすは、究めて僻事なり、学道のため真実に無用なり、知りたるを知らざる気色するもむつかしくやうがましければ、却てあたる気色にてあしきなり、本とより知らざらんは苦るしからざることなり、
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