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大和俗訓 / 巻之八・応接

一凡人倫に交りて、其はじまる所の人、われに對し施し行へること、もし禮義にあたらずして、わが心に叶はずとも、人聖賢にあらざれば、事ごとに禮義にあたるべからず。是卽凡人の常にして、古今天下の世の習はしぞと思ひなだめて、心に掛くべからず。いはんや恨み怒るべけんや。わが身さへ、我が思ふ如くに行ひがたし。何ぞ人われに施す所、わが心の如くならんや。わが身さへ道に違はずば、人の我に施すこと道にかなはざるは、わが身にあづからざる事なれば、心に掛くべからず。我がうれふべき事にあらず。人倫の内、我より位たかき君父と兄夫の、われに無禮なるは、言ふに及ばず、わが子弟臣僕のともがら、我よりいやしき者、我に禮義なくとも、禮ををしへ、其罪をいましむるは然るべし、心に掛けて、深く怒り恨むべからず。是わが身ををさめ人に交るに、みづから心を安くし、樂を失はずして、よく世にをるの道なり。

新字:一凡人倫に交りて、其はじまる所の人、われに対し施し行へること、もし礼義にあたらずして、わが心に叶はずとも、人聖賢にあらざれば、事ごとに礼義にあたるべからず。是即凡人の常にして、古今天下の世の習はしぞと思ひなだめて、心に掛くべからず。いはんや恨み怒るべけんや。わが身さへ、我が思ふ如くに行ひがたし。何ぞ人われに施す所、わが心の如くならんや。わが身さへ道に違はずば、人の我に施すこと道にかなはざるは、わが身にあづからざる事なれば、心に掛くべからず。我がうれふべき事にあらず。人倫の内、我より位たかき君父と兄夫の、われに無礼なるは、言ふに及ばず、わが子弟臣僕のともがら、我よりいやしき者、我に礼義なくとも、礼ををしへ、其罪をいましむるは然るべし、心に掛けて、深く怒り恨むべからず。是わが身ををさめ人に交るに、みづから心を安くし、楽を失はずして、よく世にをるの道なり。

書き下し

一凡人倫に交りて、其はじまる所の人、われに対し施し行へること、もし礼義にあたらずして、わが心に叶はずとも、人聖賢にあらざれば、事ごとに礼義にあたるべからず。是即凡人の常にして、古今天下の世の習はしぞと思ひなだめて、心に掛くべからず。いはんや恨み怒るべけんや。わが身さへ、我が思ふ如くに行ひがたし。何ぞ人われに施す所、わが心の如くならんや。わが身さへ道に違はずば、人の我に施すこと道にかなはざるは、わが身にあづからざる事なれば、心に掛くべからず。我がうれふべき事にあらず。人倫の内、我より位たかき君父と兄夫の、われに無礼なるは、言ふに及ばず、わが子弟臣僕のともがら、我よりいやしき者、我に礼義なくとも、礼ををしへ、其罪をいましむるは然るべし、心に掛けて、深く怒り恨むべからず。是わが身ををさめ人に交るに、みづから心を安くし、楽を失はずして、よく世にをるの道なり。

現代語訳

およそ人倫と交わって、そのかかわる人が自分に対して施し行うことが、もし礼義に当たらず、自分の心にかなわなくても、人は聖賢ではないので、事ごとに礼義に当たるはずはありません。これが凡人の常であって、古今天下の世の習わしだと思いなだめて、心に掛けてはいけません。まして恨み怒ってよいものでしょうか。自分の身でさえ、自分の思うように行いがたい。どうして人が自分に施すことが、自分の心のようになりましょうか。自分の身さえ道に違わなければ、人が自分に施すことが道にかなわないのは、自分の身にかかわらないことなので、心に掛けてはいけません。自分の憂えるべきことではありません。人倫のうちで、自分より位の高い君父や兄夫が自分に無礼なのは言うまでもなく、自分の子弟や臣下・召使いたち、自分より身分の低い者が、自分に礼義がなくても、礼を教え、その罪を戒めるのはもっともですが、心に掛けて深く怒り恨んではいけません。これが自分の身を修め人と交わるのに、自ら心を安らかにし、楽しみを失わずに、よく世に居る道です。

解説

人は聖人ではないのだから、人の振る舞いが礼にかなわないのは当然で、いちいち気に病むなという教えです。自分さえ道を外れなければ、相手の非礼は相手の問題であって自分が憂えることではないと益軒は言います。目下の者の無礼は教え戒めるべきだが、深く怒り恨んではならないとも述べます。人の言動にいちいち傷ついたり怒ったりしていては心が休まりません。相手の問題と自分の問題を分けて考えることが、心の平安と楽しみを守る知恵なのです。

この章句が説くこと

寛容楽しみ心礼修身

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