大和俗訓 / 巻之八・応接
一陸宣公曰、寧人負我。我勿負人。是忠厚の道なり。忠厚とは、人を愛すること眞實にして厚きなり。人のよきに愛でて、我をよくするは、厚といふべからず。人の我にそむき、我をそしるを、怒り恨みず、我より人に背かずして、いからず、恨みそしらず、人の我に從ふと、從はざるを心にかけざる、是厚といふべし。もし如此ならば、彼も亦人なれば、感じて從ふべし。從はずとも、わが心法に害なし。
新字:一陸宣公曰、寧人負我。我勿負人。是忠厚の道なり。忠厚とは、人を愛すること真実にして厚きなり。人のよきに愛でて、我をよくするは、厚といふべからず。人の我にそむき、我をそしるを、怒り恨みず、我より人に背かずして、いからず、恨みそしらず、人の我に従ふと、従はざるを心にかけざる、是厚といふべし。もし如此ならば、彼も亦人なれば、感じて従ふべし。従はずとも、わが心法に害なし。
書き下し
一陸宣公曰く、寧ろ人我に負くとも、我人に負くこと勿れ。是忠厚の道なり。忠厚とは、人を愛すること真実にして厚きなり。人のよきに愛でて、我をよくするは、厚といふべからず。人の我にそむき、我をそしるを、怒り恨みず、我より人に背かずして、いからず、恨みそしらず、人の我に従ふと、従はざるを心にかけざる、是厚といふべし。もし如此ならば、彼も亦人なれば、感じて従ふべし。従はずとも、わが心法に害なし。
現代語訳
陸宣公が「むしろ人が私にそむいても、私は人にそむいてはならない」と言いました。これが忠厚の道です。忠厚とは、人を愛することが真実で厚いことです。人が自分によくしてくれるのに感じて、自分もよくするのは、厚いとは言えません。人が自分にそむき、自分をそしっても、怒り恨まず、自分から人に背かずに、怒らず、恨みそしらず、人が自分に従うか従わないかを心にかけないこと、これを厚いと言うべきです。もしこのようであれば、相手もまた人なので、感じて従うでしょう。従わなくても、自分の心の法に害はありません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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言志四録・言志晩録 第二百七十一条 誠の感応事を做すに誠意に非ざれば、則ち凡百成らず。疾に当りて医を請ふが如きも亦然り。既に托するに死生を以てすれば、必ず当に一に其の言を信じ、疑惑を生ぜざるべし。是くの如くなれば則ち我の誠意、医人と感孚して一と為り、而して薬も亦自ら霊有り。是れ則ち誠の感応なり。若し或いは弥日経久して、未だ効験を得ず、他医を請はんと欲せば、亦当に能く前医と謀り、之をして其の知る所を挙げしめ、而して与に共に虚心に商議すべくして可なり。是くの如くにして効無くんば、則ち命なり。疑惑すべきに非ず。然らずして衆医群議し、紛錯して決せざるは、室を道に築くが如く、則ち竟に是れ益無きのみ。
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