大和俗訓 / 巻之八・応接
一瘂は口物いはず、聾は耳きこえず。口耳に聲言の通ぜざるのみにあらず。心にも亦生れつきて、瘂のいはざるが如く、聾の聞かざるが如くに、理の通ぜざる人あり。其人と、是非を爭ふべからず。是と爭ふは、我も亦人を知らざるなり。愚といふべし。
新字:一瘂は口物いはず、聾は耳きこえず。口耳に声言の通ぜざるのみにあらず。心にも亦生れつきて、瘂のいはざるが如く、聾の聞かざるが如くに、理の通ぜざる人あり。其人と、是非を争ふべからず。是と争ふは、我も亦人を知らざるなり。愚といふべし。
書き下し
一瘂は口物いはず、聾は耳きこえず。口耳に声言の通ぜざるのみにあらず。心にも亦生れつきて、瘂のいはざるが如く、聾の聞かざるが如くに、理の通ぜざる人あり。其人と、是非を争ふべからず。是と争ふは、我も亦人を知らざるなり。愚といふべし。
現代語訳
口のきけない人は口で物を言わず、耳の聞こえない人は耳が聞こえません。口や耳に声や言葉が通じないだけではありません。心にもまた生まれつき、口のきけない人が言わないように、耳の聞こえない人が聞かないように、道理の通じない人がいます。その人と是非を争ってはいけません。これと争うのは、自分もまた人を知らないのです。愚かだと言うべきです。
解説
世の中には、どれだけ言葉を尽くしても道理が通じない人がいるので、そういう人と正しいかどうかを争っても無駄だという教えです。当時の身体の障害にたとえた表現は、今日の感覚では配慮を欠くものですが、要点は、相手を見きわめずに議論を挑むことこそ自分の愚かさだという指摘にあります。議論の通じない相手とむきになって言い争うと、疲れるだけで何も得られません。相手を知り、争うべきでない相手とは争わないことも、大切な知恵なのです。
この章句が説くこと
知人争い道理見きわめ処世
関連する章句
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『大和俗訓』巻之八・応接一世には愚なる人多し。世に交るに、我が道理を専に立てむと思ふべからず。我に道理あり、人に非ありとも、人と争ふべからず。人に十分のあやまりありとも、人にも少しは道理をつけ、少しは人にまけて、人に勝たんことを好むべからず。かやうにすれば人と争はず、我と人との間和して、人の心をうしなはず、無事にしてさはりなし。
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『大和俗訓』巻之八・応接一人われに無礼なりとて、咎むべからず。愚なる人か、或は酒に酔ひたる人は、狂人と同じければ、堪忍したりとて、いささか恥辱にはあらず。彼に対して、怒りあらそふは、我も亦愚なりと云ふべし。敵対すべからず。一小人の、我に対して、ひが事を言ひ行ひて、さとし難きは、すべきやうなし。もし小人にたてあひて、我が顔色と言語をはげしくし、怒りあらそひて、其是非を言ひきかせても、彼もとより賢からざれば、ききわけず、却ていよいよ怒りあらそふ。かくの如く彼と怒りあらそへば、我も亦小人なり。いよいよ我が身をつつしみ修め、顔色を和げ、言を順にして、道理を言ひきかせ、争はざれば、彼もしすこし人心地あらば、みづから其非をさとるべし。彼さとらずとも、我が心法に害なし。
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『大和俗訓』巻之八・応接一凡人に交るには、言も形も、礼をあつくすべし。人の言を咎むべからず。もし止む事を得ずして、人の過を正さば、礼義を以て、其道理を真実にのぶべし。怒りて言を過し、無礼をなすべからず。一古人の言に、天下皆非なるの理なしといへり。此言よく体認すべし。世の中の人のしわざ、わが心に叶はずとも、皆ひが事にてはあらじ、何事ぞ故ありて斯あるべしと思ひ、みだりに人を咎むべからず。我が心にあししと思へど、又さなき事あり。故ありてなせる事には、過ならざる事あり。又かへつて道理にかなへる事あり。わが心必道理の寸尺のかねになるべからず。我が心にあしきと思ふとも、みだりに人を責めそしるべからず。愚なる人は、人情事変を知らず、人のなすわざ心に叶はざれば、故ありと、故なきとをかへりみず、妄に人をそしり怨むる故に、うらむるも誹る義理にかなはざること多し。
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『大和俗訓』巻之八・応接一人に交るに、小人と知らば、其人を許して、彼と善悪を争ふべからず。又小人と知れども、甚へだてなく咎めざれば、小人我を害せず。一およそ人に善を教へて行はしむるに、其人の生れつきたる所につきて、すすめ行はしむべし。若生れつかず、其人の不得手にて心になき事を、しひて責めすすめても、つひに従がはざれば益なし。必我が心の如くにせんと思ふべからず。
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『大和俗訓』巻之八・応接一さばかり善き所ある人をば、一のくせ、一事のあやまりにより、すこし心にあはずとなだめてこそは有べきに、一向に捨つること、惜むべし。一人の悪しきのみを咎めて、わが身に反り求めず、自ら修めざれば、怒うらみ多くして、わが心和せず。人と争ふことしげければ、世に立ちがたし。我が心に於ても、くるしみ多く、楽なかるべし。身にかへり求むる工夫を専一になすべし。かくの如くすれば、人我相和して、人と争なく、世に立ちやすくして、其楽を失はず。是人に交るの道なり。
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『大和俗訓』巻之八・応接一人のするわざ、其善悪十分に知れて、明白なること有り。又其事の有様、其人の心の中、善きも悪しきも、明かに知らざること多し。我が心に悪ししと思ふことも、その実をよく尋ぬれば、道理あることあり。善しと思ふことにも、善からざることあり。かやうのこと唐もやまとも、古今多し。天下皆非なるの理なしと、古人もいへり。何事も、人のしわざに故あらんと思ひ、妄に人を悪みそしるべからず。又妄に誉むべからず。
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