大和俗訓 / 巻之八・応接
一人に交るに、贈物を以てするは何ぞや。是心の愛敬を外にあらはし行ふ禮なり。贈物を用ひざれば、心にある愛敬の誠を、外にあらはすべきやうなし。贈物を用ふるは此故なり。是人に交るの道なり。いにしへ神につかふるに、蘋藻のすゝめ物あり。是いさぎよき水草を以て、神にそなふるなり。はじめて師に見ゆるに、束脩の禮あり。是贄を持參して、師を敬ふなり。神に事へ、人に交るに、かくの如くならざれば、其誠あらはれず。されど貧しき者は貨財を以て禮とせず、力に及ばざる贈物を、つとめて行ふにはあらず。老いたるもの、筋力を以て禮とせざるが如し。又よからざる物を人に贈るは、贈らざるにおとる。贈物によりて、其人の志の實不實あらはる。贈物にも心を用ひて、愛敬の誠を行ふべし。下人にまかせて、濫惡なる物を人に贈るべからず。
新字:一人に交るに、贈物を以てするは何ぞや。是心の愛敬を外にあらはし行ふ礼なり。贈物を用ひざれば、心にある愛敬の誠を、外にあらはすべきやうなし。贈物を用ふるは此故なり。是人に交るの道なり。いにしへ神につかふるに、蘋藻のすゝめ物あり。是いさぎよき水草を以て、神にそなふるなり。はじめて師に見ゆるに、束脩の礼あり。是贄を持参して、師を敬ふなり。神に事へ、人に交るに、かくの如くならざれば、其誠あらはれず。されど貧しき者は貨財を以て礼とせず、力に及ばざる贈物を、つとめて行ふにはあらず。老いたるもの、筋力を以て礼とせざるが如し。又よからざる物を人に贈るは、贈らざるにおとる。贈物によりて、其人の志の実不実あらはる。贈物にも心を用ひて、愛敬の誠を行ふべし。下人にまかせて、濫悪なる物を人に贈るべからず。
書き下し
一人に交るに、贈物を以てするは何ぞや。是心の愛敬を外にあらはし行ふ礼なり。贈物を用ひざれば、心にある愛敬の誠を、外にあらはすべきやうなし。贈物を用ふるは此故なり。是人に交るの道なり。いにしへ神につかふるに、蘋藻のすすめ物あり。是いさぎよき水草を以て、神にそなふるなり。はじめて師に見ゆるに、束脩の礼あり。是贄を持参して、師を敬ふなり。神に事へ、人に交るに、かくの如くならざれば、其誠あらはれず。されど貧しき者は貨財を以て礼とせず、力に及ばざる贈物を、つとめて行ふにはあらず。老いたるもの、筋力を以て礼とせざるが如し。又よからざる物を人に贈るは、贈らざるにおとる。贈物によりて、其人の志の実不実あらはる。贈物にも心を用ひて、愛敬の誠を行ふべし。下人にまかせて、濫悪なる物を人に贈るべからず。
現代語訳
人と交わるのに贈り物をするのはなぜでしょうか。これは心の愛敬を外に表し行う礼です。贈り物を用いなければ、心にある愛敬の誠を外に表しようがありません。贈り物を用いるのはこのためです。これが人と交わる道です。昔、神に仕えるのに、蘋や藻の供え物がありました。これは清らかな水草を神に供えたのです。初めて師にお目にかかるのに、束脩の礼がありました。これは手みやげを持参して師を敬ったのです。神に仕え、人と交わるのに、このようでなければ、その誠は表れません。けれども貧しい者は財貨をもって礼とせず、力の及ばない贈り物を無理に行うのではありません。老人が筋力をもって礼としないようなものです。またよくない物を人に贈るのは、贈らないのに劣ります。贈り物によって、その人の志が誠か不誠かが表れます。贈り物にも心を用いて、愛敬の誠を行いなさい。召使いにまかせて、粗悪な物を人に贈ってはいけません。
解説
この章句が説くこと
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