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弁名 / 誠

誠者。謂發於中心。不待思慮勉强者也。纔欲誠則涉思慮勉强。故誠者不可得而爲者也。故先王孔子之敎。有忠信而無誠。以其不可以爲敎也。其見傳記者。曲禮曰。禱祠祭祀。供給鬼神。非禮不誠不莊。是誠者天地之德也。鬼神之德也。故禱祠祭祠貴誠。然誠者不可得而爲者也。由禮行之。自然誠至。故云爾。

新字:誠者。謂発於中心。不待思慮勉強者也。纔欲誠則渉思慮勉強。故誠者不可得而為者也。故先王孔子之教。有忠信而無誠。以其不可以為教也。其見伝記者。曲礼曰。祷祠祭祀。供給鬼神。非礼不誠不荘。是誠者天地之徳也。鬼神之徳也。故祷祠祭祠貴誠。然誠者不可得而為者也。由礼行之。自然誠至。故云爾。

書き下し

誠は、中心より発して、思慮勉強を待たざる者を謂ふなり。纔かに誠ならんと欲すれば則ち思慮勉強に渉る。故に誠は得て為すべからざる者なり。故に先王・孔子の教へは、忠信有りて誠無し。其の以て教へと為すべからざるを以てなり。其の伝記に見ゆる者は、曲礼に曰く、「禱祠祭祀、鬼神に供給するは、礼に非ざれば誠ならず荘ならず」と。是れ誠は天地の徳なり、鬼神の徳なり。故に禱祠祭祀には誠を貴ぶ。然れども誠は得て為すべからざる者なり。礼に由りて之を行へば、自然に誠至る。故に爾云ふ。

現代語訳

誠とは、心の奥から発して、考えたり無理に努めたりするのを待たないもののことである。少しでも誠であろうとすれば、もう考えや努力が入りこむ。だから誠は、しようとしてできるものではない。それゆえ先王や孔子の教えには忠信はあっても誠はない。誠は教えとすることができないからである。古い記録に見えるものでは、礼記の曲礼に「祈りや祭りで鬼神にお供えするのは、礼によらなければ誠にもならず、おごそかにもならない」とある。誠は天地の徳であり、鬼神の徳である。だから祈りや祭りでは誠を尊ぶ。しかし誠はしようとしてできるものではない。礼によって行えば、自然に誠が至る。だからこう言ったのである。

解説

誠は朱子学で最も重い概念の一つだが、徂徠はまずその定義をひっくり返す。誠とは考えたり努めたりせずに心の奥から自然に出るものであり、誠であろうと意識した時点でもう誠ではない。だから先王や孔子は忠信を教えても誠は教えなかった。誠は目標にできず、礼という型を踏むうちに自然に至るものだという。職場で「本気になれ」と号令しても本気は生まれない。手順や場の作法を整え、それを繰り返す中で人は自然に真剣になっていく。心を直接いじらず型から入る、徂徠らしい発想である。

この章句が説くこと

誠礼忠信教育鬼神弁名

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