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大和俗訓 / 巻之八・応接

一明月の玉にも、瑕なきことあたはず。過なき人、なんぞ今の世にあらんや。今の人、人の小過あるを見て、其人を賤み、すこし短なる所あれば、長ずる所あれど、言ひおとし、すてゝ取用ひず。おろかなるかな。聖人は過なし。聖人を以て人を望まば、世に人なかるべし。人の過を責めて、我が過を知らざるは、愚なるかな。是我が身をかへりみざればなり。もし我をかへりみば、我が身にも過おほかるべし。我が身をかへりみて、我が過を責めば、人の過を咎むるには、いとまなかるべし。我が田の草のおほきをば、其まゝおきて取らず、人の田をくさぎるに、古人もたとへたり。

書き下し

一明月の玉にも、瑕なきことあたはず。過なき人、なんぞ今の世にあらんや。今の人、人の小過あるを見て、其人を賤み、すこし短なる所あれば、長ずる所あれど、言ひおとし、すてて取用ひず。おろかなるかな。聖人は過なし。聖人を以て人を望まば、世に人なかるべし。人の過を責めて、我が過を知らざるは、愚なるかな。是我が身をかへりみざればなり。もし我をかへりみば、我が身にも過おほかるべし。我が身をかへりみて、我が過を責めば、人の過を咎むるには、いとまなかるべし。我が田の草のおほきをば、其ままおきて取らず、人の田をくさぎるに、古人もたとへたり。

現代語訳

明月のような玉にも、傷がないことはありえません。過ちのない人が、どうして今の世にいましょうか。今の人は、人に小さな過ちがあるのを見て、その人をいやしみ、少し劣ったところがあれば、長じたところがあっても、けなして捨てて取り用いません。愚かなことです。聖人には過ちがありません。聖人を基準にして人に望めば、世に人はいなくなるでしょう。人の過ちを責めて、自分の過ちを知らないのは、愚かなことです。これは自分の身をかえりみないからです。もし自分をかえりみれば、自分の身にも過ちは多いでしょう。自分の身をかえりみて自分の過ちを責めれば、人の過ちをとがめる暇はないでしょう。自分の田の草が多いのをそのままにして取らず、人の田の草を取るようなものだと、古人もたとえました。

解説

明月の玉にも傷があるという『淮南子』の言葉から、完璧な人などいないのだから、小さな欠点で人を切り捨てるなと説いています。結びの田の草のたとえは『孟子』尽心下篇の「人は其の田を舎てて人の田を芸るを病う」で、自分の畑の雑草を放っておいて他人の畑の草取りをする愚かさを指します。他人の欠点を指摘する前に、自分の欠点を直すことに忙しくあるべきだというのです。人のあら探しをしたくなったとき、自分の田の草を思い出したいものです。

この章句が説くこと

過ち自省寛容孟子人材

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