大和俗訓 / 巻之三・心術上
一古語に、人聖人にあらず、誰か過なからん。過まつてよく改む、善これより大なるはなしといへり。程子も、學問の道無他、其不善を知れば、速かに改めて善にしたがふのみといへり。不善とは、卽過なり。過を知りて改むるは學間の要なり。されども我が過を知る人すくなし。すべて凡人は我が身に私して、其身の過と惡とを知らず、よろづの外の事は、事ごとに知らずとも、さほどのうれひにあらず。我が身の惡と過を知らざるは、はなはだ愚なるかな。是何よりも憂ふべき事ならずや。身をかへりみ、人の諫を聞きて我が過を知るべし。
新字:一古語に、人聖人にあらず、誰か過なからん。過まつてよく改む、善これより大なるはなしといへり。程子も、学問の道無他、其不善を知れば、速かに改めて善にしたがふのみといへり。不善とは、即過なり。過を知りて改むるは学間の要なり。されども我が過を知る人すくなし。すべて凡人は我が身に私して、其身の過と悪とを知らず、よろづの外の事は、事ごとに知らずとも、さほどのうれひにあらず。我が身の悪と過を知らざるは、はなはだ愚なるかな。是何よりも憂ふべき事ならずや。身をかへりみ、人の諫を聞きて我が過を知るべし。
書き下し
一古語に、人聖人にあらず、誰か過なからん。過まつてよく改む、善これより大なるはなしといへり。程子も、学問の道無他、其不善を知れば、速かに改めて善にしたがふのみといへり。不善とは、即過なり。過を知りて改むるは学間の要なり。されども我が過を知る人すくなし。すべて凡人は我が身に私して、其身の過と悪とを知らず、よろづの外の事は、事ごとに知らずとも、さほどのうれひにあらず。我が身の悪と過を知らざるは、はなはだ愚なるかな。是何よりも憂ふべき事ならずや。身をかへりみ、人の諫を聞きて我が過を知るべし。
現代語訳
古い言葉に「人は聖人ではないから、誰に過ちがないことがあろうか。過ちをしてもよく改める、善でこれより大きなものはない」とあります。程子も「学問の道はほかでもない、自分の不善を知ったら、すぐに改めて善に従うだけだ」と言いました。不善とは、すなわち過ちです。過ちを知って改めるのは学問の要です。けれども自分の過ちを知る人は少ないのです。およそ凡人は自分の身をひいきして、自分の過ちや悪を知りません。ほかのいろいろな事は、一つひとつ知らなくても、それほどの憂いではありません。自分の悪や過ちを知らないのは、はなはだ愚かなことです。これこそ何よりも憂うべきことではないでしょうか。わが身をふり返り、人の諫めを聞いて、自分の過ちを知るべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之八・応接一明月の玉にも、瑕なきことあたはず。過なき人、なんぞ今の世にあらんや。今の人、人の小過あるを見て、其人を賤み、すこし短なる所あれば、長ずる所あれど、言ひおとし、すてて取用ひず。おろかなるかな。聖人は過なし。聖人を以て人を望まば、世に人なかるべし。人の過を責めて、我が過を知らざるは、愚なるかな。是我が身をかへりみざればなり。もし我をかへりみば、我が身にも過おほかるべし。我が身をかへりみて、我が過を責めば、人の過を咎むるには、いとまなかるべし。我が田の草のおほきをば、其ままおきて取らず、人の田をくさぎるに、古人もたとへたり。
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論語・公冶長篇子曰く、已んぬるかな。吾未だ能く其の過を見て、内に自ら訟むる者を見ざるなり。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一人われをそしらば、わが身の悪しきを顧みとがめて、人を恨むべからず。もし我が身にあやまりなければ、謗ありても我が徳に害なし。もしわが身に過あらば、そしらるるは元より其理なれば、うらむべからず。いはんやそしりを聞きて、身のあやまちを改むれば、わが幸甚し。怒るべからず。孔子曰、丘幸あり。もし過あれば、人必ず之を知る。わが過を人に知られて咎めらるるは、わが幸なりとのたまへり。聖人の言たふとぶべし。
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『大和俗訓』巻之六・躬行上一わが身聖人にあらず、過多きはむべなりとて、過を知りながら改めざる人は、無下に道に志なき人なり。自暴自棄と云ふべし。かやうの志なき人にならひて、わが過をゆるすべからず。一人の目は百里の遠きを見れども、其背を見ず。明鏡といへども、其うらを照さず。離婁が明目なるも、其まつげを見ることなし。ここを以て、人知ありといへども、わが身のあやまりを知りがたし。故に君子の学は、専らわが身をかへりみ、人の諫を聞用ひ、あやまちを知りて改むるを宗とす。子路は、我が過を人の告ぐるをよろこべり。故に百世の師なりと程子もいへり。人を知ることまことに難しといへど、わが身の悪しきを知るは、又人を知るよりも猶かたし。ここを以て、わが過をつげ知らする人あらば、まことによろこぶべし。
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『呻吟語』内篇・修身・怨む者の指摘を得、愛する者の掩護する能はず平生の為す所、怨む我が者をして以て指摘するを得しめ、愛する我が者をして掩護する能はざらしむ。此れ身を省みるの大懼なり。士君子之を慎め。故に我に過ち無くして謗語滔天たるも諒とするに足らず、談笑して之を受く可し。我に過ち有りて幸ひに聞くに及ばずんば、當に寢ぬるに席に貼かず、食らふに咽を下らざるべし。
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『初学訓』巻之三人の過は知りやすく、わが過は知りがたきは、人を見るには私なし、故に明らかなり。我が身には私して、過悪をも知らず。わが身に過あれども知らざるは愚なり。知りて改めざるは悪なり、その罪ふかし。明鏡と雖も、其裏を照さず、智者といへども、わが身を知るには暗し。故に、君子はまづ我が身をかへりみて、其過を知るべし。其上道ある人に交りて、其諫をきき、過を改めて善にうつる、是学者の益なり。子路は、人其過を告げきかすれば喜べり。ここを以て、程子の言に、子路も亦百世の師なりといへり。人、わづかなる酒肴くだものなどの贈物をうけてだに、めで喜ばぬものなし。いはんや、過を告げ善言を進むるをや。これほど大なる恵みあらんや。
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