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大和俗訓 / 巻之六・躬行上

一わが身聖人にあらず、過多きはむべなりとて、過を知りながら改めざる人は、無下に道に志なき人なり。自暴自棄と云ふべし。かやうの志なき人にならひて、わが過をゆるすべからず。一人の目は百里の遠きを見れども、其背を見ず。明鏡といへども、其うらを照さず。離婁が明目なるも、其まつげを見ることなし。こゝを以て、人知ありといへども、わが身のあやまりを知りがたし。故に君子の學は、專らわが身をかへりみ、人の諫を聞用ひ、あやまちを知りて改むるを宗とす。子路は、我が過を人の告ぐるをよろこべり。故に百世の師なりと程子もいへり。人を知ることまことに難しといへど、わが身の惡しきを知るは、又人を知るよりも猶かたし。こゝを以て、わが過をつげ知らする人あらば、まことによろこぶべし。

新字:一わが身聖人にあらず、過多きはむべなりとて、過を知りながら改めざる人は、無下に道に志なき人なり。自暴自棄と云ふべし。かやうの志なき人にならひて、わが過をゆるすべからず。一人の目は百里の遠きを見れども、其背を見ず。明鏡といへども、其うらを照さず。離婁が明目なるも、其まつげを見ることなし。こゝを以て、人知ありといへども、わが身のあやまりを知りがたし。故に君子の学は、専らわが身をかへりみ、人の諫を聞用ひ、あやまちを知りて改むるを宗とす。子路は、我が過を人の告ぐるをよろこべり。故に百世の師なりと程子もいへり。人を知ることまことに難しといへど、わが身の悪しきを知るは、又人を知るよりも猶かたし。こゝを以て、わが過をつげ知らする人あらば、まことによろこぶべし。

書き下し

一わが身聖人にあらず、過多きはむべなりとて、過を知りながら改めざる人は、無下に道に志なき人なり。自暴自棄と云ふべし。かやうの志なき人にならひて、わが過をゆるすべからず。一人の目は百里の遠きを見れども、其背を見ず。明鏡といへども、其うらを照さず。離婁が明目なるも、其まつげを見ることなし。ここを以て、人知ありといへども、わが身のあやまりを知りがたし。故に君子の学は、専らわが身をかへりみ、人の諫を聞用ひ、あやまちを知りて改むるを宗とす。子路は、我が過を人の告ぐるをよろこべり。故に百世の師なりと程子もいへり。人を知ることまことに難しといへど、わが身の悪しきを知るは、又人を知るよりも猶かたし。ここを以て、わが過をつげ知らする人あらば、まことによろこぶべし。

現代語訳

わが身は聖人ではないから過ちが多いのは当然だと言って、過ちを知りながら改めない人は、ひどく道に志のない人です。自暴自棄と言うべきです。このような志のない人にならって、自分の過ちを許してはいけません。人の目は百里の遠くを見ても、自分の背中は見えません。明るい鏡でも、その裏は照らしません。離婁は目が明るかったが、自分のまつげは見えませんでした。ですから、人は知恵があっても、自分の身の誤りは知りがたい。だから君子の学問は、もっぱら自分の身をかえりみ、人の諫めを聞き用い、過ちを知って改めることを旨とします。子路は、人が自分の過ちを告げてくれるのを喜びました。だから百世の師だと程子も言いました。人を知ることはまことに難しいが、自分の悪いところを知るのは、人を知るよりもさらに難しい。ですから、自分の過ちを告げ知らせてくれる人があれば、まことに喜ぶべきです。

解説

「どうせ凡人だから」と開き直ることを自暴自棄と戒めたうえで、人は自分の欠点が見えないものだと説きます。頭注によれば離婁は『孟子』離婁上篇に出てくる目の鋭い人物です。子路が過ちを指摘されて喜んだ話は『孟子』公孫丑上篇にあり、程子はそれを百世の師とたたえました。自分の背中は自分では見えないからこそ、指摘してくれる人は貴重だというのです。フィードバックを成長の糧とする今の考え方と重なる、普遍的な知恵といえるでしょう。

この章句が説くこと

過ち諫め自省子路孟子

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