大和俗訓 / 巻之八・応接
一人我をそしらば、誹るものを咎むべからず。我が身にかへりみて求むべし。我が身に一分の過あり、人我をそしること十分なりとも、我が過よりおこりし事なれば、恨むべからず。わが過をせむべし。是そしりを止むる道なり。左もなくて、たゞ人をとがめ、人をうらみて、我に求めざれば、人のそしりは止むべからず。
書き下し
一人我をそしらば、誹るものを咎むべからず。我が身にかへりみて求むべし。我が身に一分の過あり、人我をそしること十分なりとも、我が過よりおこりし事なれば、恨むべからず。わが過をせむべし。是そしりを止むる道なり。左もなくて、ただ人をとがめ、人をうらみて、我に求めざれば、人のそしりは止むべからず。
現代語訳
人が自分をそしったら、そしる者をとがめてはいけません。自分の身をかえりみて求めなさい。自分の身に一分の過ちがあって、人が自分をそしることが十分であっても、自分の過ちから起こったことなので、恨んではいけません。自分の過ちを責めなさい。これがそしりを止める道です。そうでなくて、ただ人をとがめ、人を恨んで、自分に求めなければ、人のそしりは止まないでしょう。
解説
批判を受けたときの対処法です。たとえ自分の非が一割で、相手の批判が十割に膨らんでいたとしても、原因は自分の一割の過ちにあるのだから、相手を恨まず自分を改めよと益軒は言います。そうすることが批判を止める唯一の方法だというのです。反論したり相手を攻撃したりすれば、批判はますます激しくなります。ネット上の炎上でも、言い訳より自分の非を認めて改めるほうが早く収まることが多いものです。批判を自分を磨く機会に変える知恵がここにあります。
この章句が説くこと
自反批判過ち恨み改善
関連する章句
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『大和俗訓』巻之三・心術上一人われをそしらば、わが身の悪しきを顧みとがめて、人を恨むべからず。もし我が身にあやまりなければ、謗ありても我が徳に害なし。もしわが身に過あらば、そしらるるは元より其理なれば、うらむべからず。いはんやそしりを聞きて、身のあやまちを改むれば、わが幸甚し。怒るべからず。孔子曰、丘幸あり。もし過あれば、人必ず之を知る。わが過を人に知られて咎めらるるは、わが幸なりとのたまへり。聖人の言たふとぶべし。
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尚書・秦誓人を責むる斯れ難きこと無し、惟れ責めを受けて流るるが如くならしむる、是れ惟れ艱きかな。
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孟子・盡心章句下貉稽(ハク・ケイ)曰く、「稽大いに口に理あらず。」孟子曰く、「傷むこと無かれ。士は茲の多口に憎まる。詩に云う、『憂心悄悄たり、羣小に慍らる』とは、孔子なり。『肆(ついに)に厥に慍りを殄(たつ)たず、亦た厥の問を隕とさず』とは、文王なり。」
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『墨子』公孟程子曰く、「甚だしいかな、先生の儒を毁るや」と。子墨子曰く、「儒に固より此の各の四政無くして、我れ之を言わば、則ち是れ毁るなり。今、儒に固より此の四政有りて、我れ之を言わば、則ち毁るに非ざるなり、聞くを告ぐるなり」と。程子、辭無くして出づ。子墨子曰く、「之に迷えるかな」と。反り、後に坐して、進みて復た曰く、「鄉者、先生の言に聞く可き者有り。若し先生の言のごとくんば、則ち是れ禹を譽めず、桀紂を毁らざるなり」と。子墨子曰く、「然らず。夫れ孰辭に應ずるに、議に稱いて之を為すは、敏なり。厚く攻むれば則ち厚く吾れし、薄く攻むれば則ち薄く吾れす。孰辭に應じて議に稱うは、是れ猶お轅を荷いて蛾を擊つがごときなり」と。
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