大和俗訓 / 巻之七・躬行下
一衆人の行ふわざは、かねて思案なく、又事にのぞみては慮もなく、はやく決定するゆゑに、每事あやまり多くして、後悔すれどもそれにも懲りず、つねに事ごとにかくの如し。一事あるごとに、必後のあやまり、悔あらん事をおそれ、しづかに思慮して行ふべし。何の害かあるべきと思ひ、思慮もなく、其まゝ決定すべからず。もし卽時にきはめがたくば、重てよく思案して行ふべし。事にあたりて十分に道理にかなひ、此上は思案に及ばずと思ふとも、又いかなる惡しき事もあらんかと猶豫して、俄に決斷すべからず。是あやまちすくなく、悔すくなくする道なり。思慮して、善惡をよく明めたらば、必決斷して、猶豫なく行ふべし。思慮して、理明かになりても、決斷つよからざれば行はれず。悠々としてむなしく時を過すはあしゝ。所謂、見義而不爲無勇也。思慮と決斷との二そなはりてよし。思慮なくして、みだりに早く決斷すればあやまる。是不智なり。思慮して道理はわかれぬれど悠々として時を失ふは、おこたりなり。是無勇也。二の者はいづれも悔あり。
新字:一衆人の行ふわざは、かねて思案なく、又事にのぞみては慮もなく、はやく決定するゆゑに、毎事あやまり多くして、後悔すれどもそれにも懲りず、つねに事ごとにかくの如し。一事あるごとに、必後のあやまり、悔あらん事をおそれ、しづかに思慮して行ふべし。何の害かあるべきと思ひ、思慮もなく、其まゝ決定すべからず。もし即時にきはめがたくば、重てよく思案して行ふべし。事にあたりて十分に道理にかなひ、此上は思案に及ばずと思ふとも、又いかなる悪しき事もあらんかと猶予して、俄に決断すべからず。是あやまちすくなく、悔すくなくする道なり。思慮して、善悪をよく明めたらば、必決断して、猶予なく行ふべし。思慮して、理明かになりても、決断つよからざれば行はれず。悠々としてむなしく時を過すはあしゝ。所謂、見義而不為無勇也。思慮と決断との二そなはりてよし。思慮なくして、みだりに早く決断すればあやまる。是不智なり。思慮して道理はわかれぬれど悠々として時を失ふは、おこたりなり。是無勇也。二の者はいづれも悔あり。
書き下し
一衆人の行ふわざは、かねて思案なく、又事にのぞみては慮もなく、はやく決定するゆゑに、毎事あやまり多くして、後悔すれどもそれにも懲りず、つねに事ごとにかくの如し。一事あるごとに、必後のあやまり、悔あらん事をおそれ、しづかに思慮して行ふべし。何の害かあるべきと思ひ、思慮もなく、其まま決定すべからず。もし即時にきはめがたくば、重てよく思案して行ふべし。事にあたりて十分に道理にかなひ、此上は思案に及ばずと思ふとも、又いかなる悪しき事もあらんかと猶予して、俄に決断すべからず。是あやまちすくなく、悔すくなくする道なり。思慮して、善悪をよく明めたらば、必決断して、猶予なく行ふべし。思慮して、理明かになりても、決断つよからざれば行はれず。悠々としてむなしく時を過すはあしし。所謂、義を見て為さざるは勇無きなり。思慮と決断との二そなはりてよし。思慮なくして、みだりに早く決断すればあやまる。是不智なり。思慮して道理はわかれぬれど悠々として時を失ふは、おこたりなり。是勇無きなり。二の者はいづれも悔あり。
現代語訳
多くの人の行うことは、あらかじめ思案がなく、また事に臨んでは思慮もなく、早く決めてしまうので、何事も誤りが多く、後悔してもそれに懲りず、いつも事ごとにこのようです。一つの事があるごとに、必ず後の誤りや悔いがあることを恐れ、静かに思慮して行いなさい。何の害があろうかと思って、思慮もなく、そのまま決めてはいけません。もしすぐに決めかねるなら、重ねてよく思案して行いなさい。事に当たって十分に道理にかない、これ以上は思案に及ばないと思っても、またどんな悪いこともあるだろうかとためらって、にわかに決断してはいけません。これが過ちを少なくし、悔いを少なくする道です。思慮して善悪をよく明らかにしたなら、必ず決断して、ためらわずに行いなさい。思慮して道理が明らかになっても、決断が強くなければ行われません。ぐずぐずとむなしく時を過ごすのは悪い。いわゆる「義を見て為さざるは勇無きなり」です。思慮と決断との二つがそなわってよいのです。思慮なくして、みだりに早く決断すれば誤ります。これは不智です。思慮して道理は分かったのに、ぐずぐずして時を失うのは怠りです。これは勇がないのです。二つとも悔いがあります。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『文武訓』武訓上一張南軒曰く、君子は難を避けず。亦難に預からず。此意は、不慮にのがれがたき難に臨みて、其場をはづして身をのがるるは怯し、義にあらず。是難を去らざるなり。難にあふとも、難を避けて身をのがるべからず。又、我が身にあづからざる事にわざと出合ひて、難にあづかるは愚なり。此二は共に理にあたらず、勇にあらず。されば身を捨つることはやすけれど、捨ててかひありて理にあたることはかたし。道理にそむきて、死ぬまじき時に死し、あたら命をすつるは愚なりといふべし。死ぬべき時に死なざるは、不義といふ故に、死ぬべからざる時に死して身を失ひ、死ぬべき時に死なずして義を失ふも、共に勇にあらず、理にそむけり。
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『文武訓』武訓上一人を切りて刀を鞘にをさめず、手にもちて逃け去る者に途中にて行きあひたる時、彼の者我に手むかひせずば、其切りたる理を知らずして、妄に彼と切合ふべからず。遠よりよぎて通すべし。あとより追ひ来る人、其者をうちとめよと、遠ながら言をかけたりとも、其切りたる仔細を知らで、みだりにたたかふべからず。其人を切れる故をたづねて、其者妄に人をころせしとかたらば、追来る者と共に追ひかけ行くべし。追来る者に切らせ、是を助くべし。或はわが切らんも、亦其時宜によるべし。もしは、父兄主君などの敵をうちてのく者ならば、追行くべからず。君父のかたき打ちたる忠孝の道あれば、人を切りたりとて、きることなかれうつことなかれ。およそのこと、用心は臆病にせよ、心は剛にもつべしと、義貞軍記にいへる俗語のごとくにすべし。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・大勇の士は沈着重厚なりされど武士道の勇に於ける観念は、ただにかくの如きに止まらず。勇の人の精神に宿るや、現はれて沈毅となり、不動となる。平静なるは勇の休息せる形にして、又た勇の平衡を得て静止せる現象なり。之に反して大胆なる行為は、其の動勢に表はれたる形なり。大勇の士は、沈着重厚なり。事に処して、其常を失はず、矢石を冒して怖れず、災危に臨んで動かず、雷霆の威に屈せず、風波の烈に驚かず、泰山前に崩るとも変ぜず、鼎釼の中にありて自から安んじ、死生の巷に立ちて自から楽めり。真の勇者は、危を踏み、死に瀕して従容詩歌を詠じ、声音筆蹟毫も平生に異ならず。人、皆之を歎称せり。けだし悠々逼らざること、かくの如きは、其心に多大の余裕あるに因らずんばあらず。
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論語・公冶長篇子曰く、「道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由か。」子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、「由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。」
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・生くべき時に生き死すべき時に死すされど生くべき時に生き、死すべき時に死するは真の勇なり』と。又た泰西の識者の、肉体の勇と道徳の勇とを区別するが如きは、我国人も亦たつとに之を為す。いやしくも士林に在る者は、小少より既に大勇と匹夫の勇とを弁知せざるものなかりしならん。剛毅、大胆、自若、勇猛の徳性は、青年武士の嚮往する所にして、彼等は実例に則り、実行に由り、世の最も尊尚する此徳を磨厲して、敢て人後に落ちざらんことを努めたり。孩提の児童と雖、なお母の懐に在りて、武功譚、英雄物語に耳を傾け、もし苦痛を哀訴することあらんか、母は『些少の苦痛に泣くは卑怯者』と呵し、継ぐに『戦場に出でて、腕を断たれなば何如。切腹を命ぜられなば何如』等の属語を以てしたり。
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論語・陽貨篇子路曰く、「君子は勇を尚ぶか。」子曰く、「君子は義以て上と為す。君子勇有りて義無ければ乱を為し、小人勇有りて義無ければ盗を為す。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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