大和俗訓 / 巻之七・躬行下
一能く詩文を作る人は、妄に輕々しく文字を下さず。久しく沈思して、一字一句に心を用ふる事精しくして後、好き詩文を作り出せり。和歌をよむも同し。如此ならざれば、詩聖歌仙といへども、好き詩文和歌を作る事かたかるべし。碁をよくうつ人の、碁子を下すをみるに、久しく思ひて後に下す。一子もみだりに早く下さず。こゝを以て、碁子をくだせば其所にかなひて、よく人にかつ。是を以て思ふに、賢者の言行もまた如此、よく思案して後ことばを出し、事を行ふべし。此故に、賢者の言行はあやまちすくなし。もし早く決定して、かるがるしく行はゞ、賢者といへども過多かるべし。孔子の、必也臨事而懼、好謀而成者也とのたまふを以て見つべし。當世の愚人より、聖賢のなす所を見ば、はかゆかず鈍くして、もどかしかるべし。常人も思案をこのめば、わが心を盡すゆゑ、事を早く決定せずに、ふきように見ゆれど、過すくなく道理に當ること多し。決斷早き人は、はかゆけども必過多く、後悔多し。
新字:一能く詩文を作る人は、妄に軽々しく文字を下さず。久しく沈思して、一字一句に心を用ふる事精しくして後、好き詩文を作り出せり。和歌をよむも同し。如此ならざれば、詩聖歌仙といへども、好き詩文和歌を作る事かたかるべし。碁をよくうつ人の、碁子を下すをみるに、久しく思ひて後に下す。一子もみだりに早く下さず。こゝを以て、碁子をくだせば其所にかなひて、よく人にかつ。是を以て思ふに、賢者の言行もまた如此、よく思案して後ことばを出し、事を行ふべし。此故に、賢者の言行はあやまちすくなし。もし早く決定して、かるがるしく行はゞ、賢者といへども過多かるべし。孔子の、必也臨事而懼、好謀而成者也とのたまふを以て見つべし。当世の愚人より、聖賢のなす所を見ば、はかゆかず鈍くして、もどかしかるべし。常人も思案をこのめば、わが心を尽すゆゑ、事を早く決定せずに、ふきように見ゆれど、過すくなく道理に当ること多し。決断早き人は、はかゆけども必過多く、後悔多し。
書き下し
一能く詩文を作る人は、妄に軽々しく文字を下さず。久しく沈思して、一字一句に心を用ふる事精しくして後、好き詩文を作り出せり。和歌をよむも同し。如此ならざれば、詩聖歌仙といへども、好き詩文和歌を作る事かたかるべし。碁をよくうつ人の、碁子を下すをみるに、久しく思ひて後に下す。一子もみだりに早く下さず。ここを以て、碁子をくだせば其所にかなひて、よく人にかつ。是を以て思ふに、賢者の言行もまた如此、よく思案して後ことばを出し、事を行ふべし。此故に、賢者の言行はあやまちすくなし。もし早く決定して、かるがるしく行はば、賢者といへども過多かるべし。孔子の、必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成さん者なりとのたまふを以て見つべし。当世の愚人より、聖賢のなす所を見ば、はかゆかず鈍くして、もどかしかるべし。常人も思案をこのめば、わが心を尽すゆゑ、事を早く決定せずに、ふきように見ゆれど、過すくなく道理に当ること多し。決断早き人は、はかゆけども必過多く、後悔多し。
現代語訳
よく詩文を作る人は、みだりに軽々しく文字を書きません。久しく深く考えて、一字一句に心を用いることが細かくなってから、よい詩文を作り出しました。和歌をよむのも同じです。このようでなければ、詩聖や歌仙でも、よい詩文や和歌を作ることは難しいでしょう。碁をよく打つ人が碁石を置くのを見ると、久しく考えてから置きます。一石もみだりに早く置きません。ですから、碁石を置けばその場所にかなって、よく人に勝ちます。これによって思えば、賢者の言行もまたこのようで、よく思案してから言葉を出し、事を行いなさい。このため、賢者の言行は過ちが少ない。もし早く決めて軽々しく行えば、賢者でも過ちが多いでしょう。孔子が「必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成さん者なり」と言われたことで知ることができます。当世の愚かな人から聖賢のすることを見れば、はかどらず鈍くて、もどかしいでしょう。常人も思案を好めば、自分の心を尽くすので、事を早く決めずに不器用に見えても、過ちが少なく道理に当たることが多い。決断の早い人は、はかどっても必ず過ちが多く、後悔が多いのです。
解説
この章句が説くこと
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