大和俗訓 / 巻之七・躬行下
一終日つとめつとめて、夕にいたりてもおそれつゝしむは、易の敎なり。天道は日夜めぐりて止まず。これを手本としてつとむべし。古人は、つとに起きよはにいねて、日夜つとめし故、其しるしあり。一古語に、一生のはかりごとは務にありといへり。つとめざれば萬の事行はれず、身を立つる事かたし。又一生のつとめは、若き時にあり。人の身を立つるはかりごとは、三十歳の内に覺悟すれば、一生の家業成立つ。其內覺悟なく怠れば、一生立ちがたし。一年のはかりごとは春にあり。春の間怠りぬれば、一年のこと成りがたし。一月のはかりごとは上旬にあり。朔日より十日までの内につとむれば、一月の事成りやすし。十日の間に、すゑ二旬の日數を賴みて怠れば、其事成就しがたし。一日のはかりごとは朝にあり、朝に一日の間の事をよく考へ定め、早くつとむれば捗ゆく。若朝の間おこたれば、一日のつとめ捗ゆかず。又明日のはかりごとは今夕にあるべし。明日のことを、明日はからんとて、今日定めざれば、つまづきて捗ゆかず。
新字:一終日つとめつとめて、夕にいたりてもおそれつゝしむは、易の教なり。天道は日夜めぐりて止まず。これを手本としてつとむべし。古人は、つとに起きよはにいねて、日夜つとめし故、其しるしあり。一古語に、一生のはかりごとは務にありといへり。つとめざれば万の事行はれず、身を立つる事かたし。又一生のつとめは、若き時にあり。人の身を立つるはかりごとは、三十歳の内に覚悟すれば、一生の家業成立つ。其内覚悟なく怠れば、一生立ちがたし。一年のはかりごとは春にあり。春の間怠りぬれば、一年のこと成りがたし。一月のはかりごとは上旬にあり。朔日より十日までの内につとむれば、一月の事成りやすし。十日の間に、すゑ二旬の日数を頼みて怠れば、其事成就しがたし。一日のはかりごとは朝にあり、朝に一日の間の事をよく考へ定め、早くつとむれば捗ゆく。若朝の間おこたれば、一日のつとめ捗ゆかず。又明日のはかりごとは今夕にあるべし。明日のことを、明日はからんとて、今日定めざれば、つまづきて捗ゆかず。
書き下し
一終日つとめつとめて、夕にいたりてもおそれつつしむは、易の教なり。天道は日夜めぐりて止まず。これを手本としてつとむべし。古人は、つとに起きよはにいねて、日夜つとめし故、其しるしあり。一古語に、一生のはかりごとは務にありといへり。つとめざれば万の事行はれず、身を立つる事かたし。又一生のつとめは、若き時にあり。人の身を立つるはかりごとは、三十歳の内に覚悟すれば、一生の家業成立つ。其内覚悟なく怠れば、一生立ちがたし。一年のはかりごとは春にあり。春の間怠りぬれば、一年のこと成りがたし。一月のはかりごとは上旬にあり。朔日より十日までの内につとむれば、一月の事成りやすし。十日の間に、すゑ二旬の日数を頼みて怠れば、其事成就しがたし。一日のはかりごとは朝にあり、朝に一日の間の事をよく考へ定め、早くつとむれば捗ゆく。若朝の間おこたれば、一日のつとめ捗ゆかず。又明日のはかりごとは今夕にあるべし。明日のことを、明日はからんとて、今日定めざれば、つまづきて捗ゆかず。
現代語訳
一日中努めに努めて、夕方になっても恐れつつしむのは、『易』の教えです。天道は日夜めぐってやみません。これを手本として努めなさい。古人は朝早く起き夜遅く寝て、日夜努めたので、その効果がありました。古語に「一生のはかりごとは勤めにある」とあります。努めなければ万事は行われず、身を立てることは難しい。また一生の努めは若いときにあります。人が身を立てるはかりごとは、三十歳のうちに覚悟すれば、一生の家業が成り立ちます。その間に覚悟がなく怠れば、一生立ちがたい。一年のはかりごとは春にあります。春の間に怠れば、一年のことは成りがたい。一月のはかりごとは上旬にあります。一日から十日までのうちに努めれば、一月のことは成りやすい。十日の間に、残り二十日の日数を当てにして怠れば、そのことは成就しがたい。一日のはかりごとは朝にあります。朝に一日の間のことをよく考え定め、早く努めればはかどります。もし朝の間に怠れば、一日の努めははかどりません。また明日のはかりごとは今夕にあるべきです。明日のことを明日考えようとして今日定めなければ、つまずいてはかどりません。
解説
この章句が説くこと
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史記 河渠書五千頃は故尽く河壖の棄地にして、民、其の中に茭牧するのみ。今之に溉田せば、度るに穀二百万石以上を得可し。穀は渭より上り、関中と異なる無く、而して砥柱の東は復た漕する無かる可し」と。天子以て然りと為し、卒数万人を発して渠田を作る。数歳にして、河移徙し、渠利あらず、則ち田する者種を償ふ能はず。之を久しくして、河東の渠田廃れ、越人に予へ、少府をして以て稍入と為さしむ。其の後、人の上書して褒斜の道及び漕の事を通ぜんと欲する有り、御史大夫張湯に下す。湯、其の事を問ひ、因りて言ふ、「蜀に抵るに故道よりす。故道は阪多く、回遠なり。今、褒斜の道を穿たば、阪少なく、近きこと四百里。而して褒水は沔に通じ、斜水は渭に通ず、皆以て船漕を行ふ可し。漕は南陽より沔を上りて褒に入り、褒の水の絶ゆるより斜に至るまで、間百余里、車を以て転じ、斜より下りて渭に下る。此の如くせば、漢中の穀致す可く、山東は沔よりして限り無く、砥柱の漕より便なり。且つ褒斜の材木・竹箭の饒かなること、巴蜀に擬す」と。天子以て然りと為し、湯の子卬を拝して漢中の守と為し、数万人を発して褒斜の道五百余里を作る。道果して便にして近し。而れども水湍石にして、漕す可からず。其の後、荘熊羆言ふ、「臨晋の民、洛を穿ちて以て重泉以東の万余頃の故鹵地に溉がんことを願ふ。誠に水を得ば、畝ごとに十石ならしむ可し」と。是に於て為に卒万余人を発して渠を穿ち、徴より洛水を引きて商顔山の下に至る。岸善く崩る。乃ち井を鑿つこと、深き者四十余丈。往往に井を為り、井の下相通じて水を行る。水穨れて以て商顔を絶ち、東のかた山嶺に至るまで十余里の間なり。井渠の生ずること此より始まる。渠を穿ちて龍骨を得、故に名づけて龍首渠と曰ふ。之を作ること十余歳、渠頗る通ずるも、猶ほ未だ其の饒を得ず。河、瓠子に決せし後より二十余歳、歳因りて以て数々登らず、而して梁・楚の地尤も甚だし。
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