春秋左氏伝 / 昭公三十二年 士彌牟、成周を営む
冬。十一月。晉魏舒。韓不信。如京師。合諸侯之大夫于狄泉。尋盟。且令城成周。魏子南面。衛彪徯曰。魏子必有大咎。干位以令大事。非其任也。詩曰。敬天之怒。不敢戲豫。敬天之渝。不敢馳驅。況敢干位。以作大事乎。己丑。士彌牟營成周。計丈數。揣高卑。度厚薄。仞溝洫。物土方。議遠邇。量事期。計徒庸。慮財用。書餱糧。以令役於諸侯。屬役賦丈。書以授帥。而效諸劉子。韓簡子臨之。以為成命。
新字:冬。十一月。晋魏舒。韓不信。如京師。合諸侯之大夫于狄泉。尋盟。且令城成周。魏子南面。衛彪徯曰。魏子必有大咎。干位以令大事。非其任也。詩曰。敬天之怒。不敢戯予。敬天之渝。不敢馳駆。況敢干位。以作大事乎。己丑。士弥牟営成周。計丈数。揣高卑。度厚薄。仞溝洫。物土方。議遠邇。量事期。計徒庸。慮財用。書餱糧。以令役於諸侯。属役賦丈。書以授帥。而効諸劉子。韓簡子臨之。以為成命。
書き下し
冬、十一月、晉の魏舒・韓不信、京師に如き、諸侯の大夫を狄泉に合し、盟を尋(あたた)め、且つ成周に城くことを令す。魏子南面す。衛の彪徯曰く、「魏子必ず大咎有らん。位を干して以って大事を令するは、其の任に非ざるなり。詩に曰く、『天の怒りを敬し、敢へて戲豫せず。天の渝(かは)るを敬し、敢へて馳驅せず』と。況んや敢へて位を干して、以って大事を作さんや」と。己丑、士彌牟成周を營み、丈數を計り、高卑を揣り、厚薄を度り、溝洫を仞り、土方を物し、遠邇を議し、事期を量り、徒庸を計り、財用を慮り、餱糧を書し、以って役を諸侯に令す。役を屬(あつ)めて丈を賦し、書して以って帥に授けて、諸を劉子に效(いた)す。韓簡子之に臨み、以って成命と為す。
現代語訳
冬十一月、晋の魏舒(魏献子)と韓不信(韓簡子)が京師(周の都)に行き、諸侯の大夫を狄泉に集めて以前の盟約を確認し直し、あわせて成周に城を築くよう命じた。魏子は南面して(君主の位置に立って)命じた。衛の彪徯は言った。「魏子には必ず大きな咎めがあるだろう。自分の位を越えて大事を命じるのは、その任ではない。『詩経』に『天の怒りを敬い、あえて戯れ楽しまず。天の変わるのを敬い、あえて勝手に駆け回らず』とある。まして位を越えて大事を起こすなど、とんでもないことだ」。己丑の日、士彌牟(士景伯)が成周の工事を設計した。城壁の長さを計算し、高低を測り、厚さを見積もり、溝や堀の深さを測り、土質や方位を調べ、土の運搬の遠近を検討し、工期を見積もり、必要な人夫の数を計算し、資材や費用を考え、糧食を記録して、それによって諸侯に労役を命じた。労役を割り当てて担当する長さを配分し、文書にして各国の指揮官に授け、それを劉子(劉文公、周の卿)に提出した。韓簡子(韓不信)がこれに立ち会い、正式な命令とした。
解説
この章句が説くこと
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