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大和俗訓 / 巻之六・躬行上

一孟子曰、志士は溝壑にあるを忘れず。勇士は其元をうしなふに忘れず。いふ意は、義理に志ある士は、たとひわが身不幸にして、飢ゑて溝壑にふしまろびて死ぬるとも、其時までは、義理を忘れず。又義理に勇む士は、たとひ人と戰つて、我がかうべを失ふ時にいたるといへども、義理を忘れずとなり。士たる者は、必此語を常に心にたもちて失ふべからずと、古人もいへり。人の命はおもき物なれど、義理は又命より甚おもし。故に生死の大事にのぞんでも、義理を忘るべからざる事、かくの如し。いはんや名利好色財寶は、皆外物の輕き物なれば、なんぞ是をむさぼりて、おもき道義を失はんや。およそ人の欲は、富貴をきはむるにあり。然れども、いたれる富貴よりも、換へがたきは命なり。

新字:一孟子曰、志士は溝壑にあるを忘れず。勇士は其元をうしなふに忘れず。いふ意は、義理に志ある士は、たとひわが身不幸にして、飢ゑて溝壑にふしまろびて死ぬるとも、其時までは、義理を忘れず。又義理に勇む士は、たとひ人と戦つて、我がかうべを失ふ時にいたるといへども、義理を忘れずとなり。士たる者は、必此語を常に心にたもちて失ふべからずと、古人もいへり。人の命はおもき物なれど、義理は又命より甚おもし。故に生死の大事にのぞんでも、義理を忘るべからざる事、かくの如し。いはんや名利好色財宝は、皆外物の軽き物なれば、なんぞ是をむさぼりて、おもき道義を失はんや。およそ人の欲は、富貴をきはむるにあり。然れども、いたれる富貴よりも、換へがたきは命なり。

書き下し

一孟子曰、志士は溝壑にあるを忘れず。勇士は其元をうしなふに忘れず。いふ意は、義理に志ある士は、たとひわが身不幸にして、飢ゑて溝壑にふしまろびて死ぬるとも、其時までは、義理を忘れず。又義理に勇む士は、たとひ人と戦つて、我がかうべを失ふ時にいたるといへども、義理を忘れずとなり。士たる者は、必此語を常に心にたもちて失ふべからずと、古人もいへり。人の命はおもき物なれど、義理は又命より甚おもし。故に生死の大事にのぞんでも、義理を忘るべからざる事、かくの如し。いはんや名利好色財宝は、皆外物の軽き物なれば、なんぞ是をむさぼりて、おもき道義を失はんや。およそ人の欲は、富貴をきはむるにあり。然れども、いたれる富貴よりも、換へがたきは命なり。

現代語訳

孟子が言いました。「志士は溝や谷にあることを忘れず、勇士はその首を失うことを忘れず」。その意味は、義理に志のある士は、たとえわが身が不幸で、飢えて溝や谷に倒れ転がって死ぬとしても、その時までは義理を忘れない。また義理に勇む士は、たとえ人と戦って自分の首を失う時に至っても、義理を忘れない、ということです。士たる者は、必ずこの言葉をいつも心に保って失ってはならないと古人も言いました。人の命は重いものですが、義理はまた命よりはなはだ重い。だから生死の大事に臨んでも、義理を忘れてはならないことはこのとおりです。まして名利・好色・財宝は、みな外物の軽いものなので、どうしてこれをむさぼって重い道義を失うでしょうか。およそ人の欲は富貴をきわめることにあります。けれども、この上ない富貴よりも換えがたいのは命です。

解説

頭注のとおり『孟子』滕文公下篇の言葉です。志ある士は野垂れ死にしても、勇ある士は首を失っても義理を忘れないという覚悟を示しています。益軒は、命より重い義理を生死の場面でさえ守るのなら、名誉や色欲、財宝といった命よりはるかに軽いもののために道義を失うのは筋が通らないと論じます。極端な場面を例に取って、日常の小さな誘惑の軽さを際立たせる論法です。目先の利益で信念を曲げそうになったとき、何が本当に重いのかを思い出させてくれます。

この章句が説くこと

義志士孟子命富貴

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