大和俗訓 / 巻之六・躬行上
一人倫をあつく愛し、四恩を感じ報いて、又神をたふとぶべし。古人の曰、民は神之主也。是を以て、聖王は先民を養ひて後、神に力を用ひ給ふ。人事を務めずして、神に助を求むべからず。神に三あり。天神、地祇、人鬼なり。天神は天の神靈をいふ。日月星も其內にあり。地祇は地に在る神靈なり。名山大川の神、社稷の神も、其內にあり。社稷とは國土と五穀とを守る神なり。人鬼とは、人死して神にいはへるを云ふ。わが家の父母先祖の神あり、是祭るべし。王公の先祖宗廟の神あり、尊べし。これを祭るは恐多し、無禮なり。又先祖にあらざれども、人民に功德ありし人あり。これ皆人鬼なり。是また尊ぶべし。およそわが身に應じたる神を祭るべし。身に應せざるは祭るべからず。
新字:一人倫をあつく愛し、四恩を感じ報いて、又神をたふとぶべし。古人の曰、民は神之主也。是を以て、聖王は先民を養ひて後、神に力を用ひ給ふ。人事を務めずして、神に助を求むべからず。神に三あり。天神、地祇、人鬼なり。天神は天の神霊をいふ。日月星も其内にあり。地祇は地に在る神霊なり。名山大川の神、社稷の神も、其内にあり。社稷とは国土と五穀とを守る神なり。人鬼とは、人死して神にいはへるを云ふ。わが家の父母先祖の神あり、是祭るべし。王公の先祖宗廟の神あり、尊べし。これを祭るは恐多し、無礼なり。又先祖にあらざれども、人民に功徳ありし人あり。これ皆人鬼なり。是また尊ぶべし。およそわが身に応じたる神を祭るべし。身に応せざるは祭るべからず。
書き下し
一人倫をあつく愛し、四恩を感じ報いて、又神をたふとぶべし。古人の曰く、民は神の主なり。是を以て、聖王は先民を養ひて後、神に力を用ひ給ふ。人事を務めずして、神に助を求むべからず。神に三あり。天神、地祇、人鬼なり。天神は天の神霊をいふ。日月星も其内にあり。地祇は地に在る神霊なり。名山大川の神、社稷の神も、其内にあり。社稷とは国土と五穀とを守る神なり。人鬼とは、人死して神にいはへるを云ふ。わが家の父母先祖の神あり、是祭るべし。王公の先祖宗廟の神あり、尊べし。これを祭るは恐多し、無礼なり。又先祖にあらざれども、人民に功徳ありし人あり。これ皆人鬼なり。是また尊ぶべし。およそわが身に応じたる神を祭るべし。身に応せざるは祭るべからず。
現代語訳
人倫を厚く愛し、四恩を感じて報い、また神を尊びなさい。古人は「民は神の主なり」と言いました。これによって聖王は、まず民を養ってから神に力を用いられました。人のなすべきことを努めずに、神に助けを求めてはいけません。神には三つあります。天神・地祇・人鬼です。天神は天の神霊をいいます。日・月・星もその中にあります。地祇は地にある神霊です。名山大川の神、社稷の神もその中にあります。社稷とは国土と五穀を守る神です。人鬼とは、人が死んで神として祭られたものをいいます。自分の家の父母や先祖の神があり、これは祭るべきです。王公の先祖の宗廟の神があり、尊ぶべきです。これを祭るのは恐れ多く、無礼です。また先祖ではないけれども、人民に功徳のあった人があります。これもみな人鬼です。これもまた尊ぶべきです。およそ自分の身に応じた神を祭りなさい。身に応じないものは祭ってはいけません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
-
『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
-
『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
-
『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
-
論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
-
『都鄙問答』卷之二・鬼神ヲ遠ト云事ヲ問ノ段又問、或人云、子曰、其の鬼に非ずして之を祭るは諂ひなりと、祭べからずとのたまふ。我朝には、土地の神、又太神宮といへども、御恩の為に、五穀の出来、初穂や或は神楽などを捧奉ることなれば、兎角唐土とは違有と云り。然るに汝、神は一列の如くに云へるは、如何なることぞ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る