大和俗訓 / 巻之六・躬行上
一およそ人の施をうけ、恩をかうぶり、或は我を君にすゝめたる恩あらば、ながく忘るべからず。折節の禮義をつとむべし。久しくして怠るべからず。或は初につとむれども、誠すくなき人は、久しきを經れば、必舊恩を忘れて、訪ひくる事だになし。始終一の如くなるべし。凡恩を知らざるは、世の凡人のならひなれば、責むるにたらず。我が身かゝるうすき人情にならひて、恩を忘るべからず。恩を忘るゝは、人にあらずと思ふべし。犬はいやしき獸なれど、養をうけし主人をしたひて去らず。他の富める家に引寄せ、つなぎ置きて、食に飽かしむれども、まどしきもとの主人の家に逃歸る。或は數十里の道をも歸り、遙なる海をおよぎても歸ることあり。されば恩を知らざるは、人を以て犬にも如かずといふべし。
新字:一およそ人の施をうけ、恩をかうぶり、或は我を君にすゝめたる恩あらば、ながく忘るべからず。折節の礼義をつとむべし。久しくして怠るべからず。或は初につとむれども、誠すくなき人は、久しきを経れば、必旧恩を忘れて、訪ひくる事だになし。始終一の如くなるべし。凡恩を知らざるは、世の凡人のならひなれば、責むるにたらず。我が身かゝるうすき人情にならひて、恩を忘るべからず。恩を忘るゝは、人にあらずと思ふべし。犬はいやしき獣なれど、養をうけし主人をしたひて去らず。他の富める家に引寄せ、つなぎ置きて、食に飽かしむれども、まどしきもとの主人の家に逃帰る。或は数十里の道をも帰り、遥なる海をおよぎても帰ることあり。されば恩を知らざるは、人を以て犬にも如かずといふべし。
書き下し
一およそ人の施をうけ、恩をかうぶり、或は我を君にすすめたる恩あらば、ながく忘るべからず。折節の礼義をつとむべし。久しくして怠るべからず。或は初につとむれども、誠すくなき人は、久しきを経れば、必旧恩を忘れて、訪ひくる事だになし。始終一の如くなるべし。凡恩を知らざるは、世の凡人のならひなれば、責むるにたらず。我が身かかるうすき人情にならひて、恩を忘るべからず。恩を忘るるは、人にあらずと思ふべし。犬はいやしき獣なれど、養をうけし主人をしたひて去らず。他の富める家に引寄せ、つなぎ置きて、食に飽かしむれども、まどしきもとの主人の家に逃帰る。或は数十里の道をも帰り、遥なる海をおよぎても帰ることあり。されば恩を知らざるは、人を以て犬にも如かずといふべし。
現代語訳
およそ人の施しを受け、恩をこうむり、あるいは自分を主君に推薦してくれた恩があれば、長く忘れてはいけません。折々の礼儀を努めなさい。久しくなっても怠ってはいけません。あるいは初めは努めても、誠の少ない人は、久しく時が経てば必ず昔の恩を忘れて、訪ねて来ることさえありません。始めと終わりが一つのようであるべきです。およそ恩を知らないのは世の凡人の習いなので、責めるには足りません。自分の身がこのような薄い人情にならって、恩を忘れてはいけません。恩を忘れるのは人ではないと思いなさい。犬はいやしい獣ですが、養いを受けた主人を慕って去りません。ほかの富んだ家に引き寄せてつないでおき、食べ物に飽かせても、貧しいもとの主人の家に逃げ帰ります。あるいは数十里の道をも帰り、遠い海を泳いでも帰ることがあります。ですから恩を知らないのは、人でありながら犬にも及ばないと言うべきです。
解説
この章句が説くこと
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