大和俗訓 / 巻之六・躬行上
およそ人生前の血肉をのみ、わが身と思ふべからず。死後の善惡の名も、またわが身の内なることを思ふべし。生けるもの、必一たび死なずと云ふことなし。節義をうしなひて、かひなき命を生き、たとひ百年のよはひを保ち、富貴をきはむとも、人の道をうしなひて、世に生けるかひなくば、何の樂かあらんや。是人のつとめ行ふべき大節なり。
新字:およそ人生前の血肉をのみ、わが身と思ふべからず。死後の善悪の名も、またわが身の内なることを思ふべし。生けるもの、必一たび死なずと云ふことなし。節義をうしなひて、かひなき命を生き、たとひ百年のよはひを保ち、富貴をきはむとも、人の道をうしなひて、世に生けるかひなくば、何の楽かあらんや。是人のつとめ行ふべき大節なり。
書き下し
およそ人生前の血肉をのみ、わが身と思ふべからず。死後の善悪の名も、またわが身の内なることを思ふべし。生けるもの、必一たび死なずと云ふことなし。節義をうしなひて、かひなき命を生き、たとひ百年のよはひを保ち、富貴をきはむとも、人の道をうしなひて、世に生けるかひなくば、何の楽かあらんや。是人のつとめ行ふべき大節なり。
現代語訳
およそ人は、生前の血肉だけを自分の身と思ってはいけません。死後の善悪の名も、また自分の身の内であることを思いなさい。生きているものは、必ず一度は死なないということはありません。節義を失って、かいのない命を生き、たとえ百年の齢を保ち、富貴をきわめても、人の道を失って、世に生きるかいがなければ、何の楽しみがありましょうか。これが人の努め行うべき大節です。
解説
自分とは今生きている肉体だけでなく、死後に残る評判もまた自分の一部だという、印象的な考え方です。誰もがいつかは死ぬのだから、節義を失って長生きし富を得ても、人としての道を失えば生きた甲斐がないと益軒は言います。これを書いたとき益軒は七十九歳で、自らの死後の名を意識していたことでしょう。自分が去ったあと家族や同僚にどう記憶されたいかを考えることは、今の生き方を正す確かな物差しになります。
この章句が説くこと
節義名死生人生道
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