大和俗訓 / 巻之六・躬行上
一顏子は過をまたせず。言ふこゝろは、一度あやまちと知れることは、ふたゝび行はず。又顏子は、不善あれば未嘗不知、知之未嘗復行と、易に見えたり。いふ意は、わが身に過あれば必知る。是知ることの明なるなり。過を知れば、必行はず。是行ふことのつよきなり。
新字:一顔子は過をまたせず。言ふこゝろは、一度あやまちと知れることは、ふたゝび行はず。又顔子は、不善あれば未嘗不知、知之未嘗復行と、易に見えたり。いふ意は、わが身に過あれば必知る。是知ることの明なるなり。過を知れば、必行はず。是行ふことのつよきなり。
書き下し
一顔子は過をまたせず。言ふこころは、一度あやまちと知れることは、ふたたび行はず。又顔子は、不善あれば未だ嘗て知らずんばあらず、之を知れば未だ嘗て復た行はずと、易に見えたり。いふ意は、わが身に過あれば必知る。是知ることの明なるなり。過を知れば、必行はず。是行ふことのつよきなり。
現代語訳
顔回は過ちを二度しませんでした。その意味は、一度過ちと知ったことは、再び行わないということです。また顔回は、不善があれば「未だ嘗て知らずんばあらず、之を知れば未だ嘗て復た行わず」と『易』に見えます。その意味は、自分の身に過ちがあれば必ず知る。これは知ることが明らかなのです。過ちを知れば必ず行わない。これは行うことが強いのです。
解説
孔子の最愛の弟子顔回をたたえる『論語』雍也篇の「過ちを弐たびせず」と、『易経』繋辞下伝の言葉を引いています。顔回のすぐれた点は、過ちに気づく目の明るさと、一度気づいたら二度と繰り返さない実行の強さの二つだと益軒は分析します。気づく力と直す力、この両方がそろって初めて人は成長します。仕事でも同じミスを繰り返さないために、振り返りで原因を明らかにし、仕組みを改めることが求められます。顔回の姿勢は、成長の理想的な形を示しています。
この章句が説くこと
過ち顔回易経論語改善
関連する章句
-
『都鄙問答』卷之四・學者ノ行狀心得難キヲ問ノ段他人の善事を身にうつし、人の悪事を見ては、我にもこの悪事あらんかと恐れ、己を顧み仁義の志し有りて止まざるを、聖人の学問と云ふ。子曰く、顔回といふ者有り、学を好む。怒りを遷さず、過ちを弐たびせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かずと。顔回の心は、鏡の物を照らすが如し。右の怒りを左に遷さず、前に過つことを、後に復せずと。是の如く心に得て身に行ふを、徳に至ると云ふ。故に文学に長じたる子夏子游を、好学とはの玉はず。詩書六芸七十子、習ひて通ぜざるに非ず。通ずれども文学は用なり、徳とはいはず。汝の云へる学者は、年久しく文字を数へても、書の心を得ざるゆへに、不孝にして世の交りあしく、不義の類多し。然れども文字さへ読めば徳ありと思ひて、世間に取り違ふる所なり。誤るべからず。
-
論語・子張篇子貢曰く、君子の過ちや、日月の食の如し。過つや、人皆之を見る。更むるや、人皆之を仰ぐ。
-
『呻吟語』内篇・修身・一たび認むれば兩過都て無し過ち有るは是れ一過なり、過ちを認むるを肯んぜざるは又た是れ一過なり。一たび認むれば則ち兩過都て無く、一たび認めざれば則ち兩過免れず。彼の強辯して以て非を飾る者は、果たして何為るぞや。
-
尉繚子・兵教下太上は過ち無く、其の次は過ちを補う。
-
論語・述而篇陳の司敗問う、「昭公は礼を知れるか。」孔子対えて曰く、「礼を知れり。」孔子退く。巫馬期に揖して之を進めて曰く、「吾聞く、君子は党せずと。君子も亦た党するか。君、呉に取りて同姓と為す。之を呉孟子と謂う。君にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん。」巫馬期以て告ぐ。子曰く、「丘や幸いなり。苟くも過ち有れば、人必ず之を知る。」
-
『呻吟語』内篇・修身・怨む者の指摘を得、愛する者の掩護する能はず平生の為す所、怨む我が者をして以て指摘するを得しめ、愛する我が者をして掩護する能はざらしむ。此れ身を省みるの大懼なり。士君子之を慎め。故に我に過ち無くして謗語滔天たるも諒とするに足らず、談笑して之を受く可し。我に過ち有りて幸ひに聞くに及ばずんば、當に寢ぬるに席に貼かず、食らふに咽を下らざるべし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る