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大和俗訓 / 巻之六・躬行上

義にあらず。凡義とは、爲すべき事をなして、わが身の利の爲にする私なきを云ふ。されども、義理にかなへば人よろこびしたがひ、事とゝのひ行はるゝ故、利は求めずして自ら來る。自ら來る利は、義に害なし。利を求むるは、義に害あり。たとへば天下に聞ゆるほどの善を行ひても、身のためにするに志あるは、利なり。義にあらず。義と利とをわかつこと、第一つとむべき心術なり。

新字:義にあらず。凡義とは、為すべき事をなして、わが身の利の為にする私なきを云ふ。されども、義理にかなへば人よろこびしたがひ、事とゝのひ行はるゝ故、利は求めずして自ら来る。自ら来る利は、義に害なし。利を求むるは、義に害あり。たとへば天下に聞ゆるほどの善を行ひても、身のためにするに志あるは、利なり。義にあらず。義と利とをわかつこと、第一つとむべき心術なり。

書き下し

義にあらず。凡義とは、為すべき事をなして、わが身の利の為にする私なきを云ふ。されども、義理にかなへば人よろこびしたがひ、事ととのひ行はるる故、利は求めずして自ら来る。自ら来る利は、義に害なし。利を求むるは、義に害あり。たとへば天下に聞ゆるほどの善を行ひても、身のためにするに志あるは、利なり。義にあらず。義と利とをわかつこと、第一つとむべき心術なり。

現代語訳

それは義ではありません。およそ義とは、なすべきことをして、自分の身の利益のためにする私心がないことをいいます。けれども、義理にかなえば人は喜んで従い、事がととのい行われるので、利は求めなくても自然にやって来ます。自然に来る利は、義に害はありません。利を求めるのは義に害があります。たとえば天下に聞こえるほどの善を行っても、身のためにする志があるのは利であって、義ではありません。義と利を分けることは、第一に努めるべき心術です。

解説

前の段の続きで、義と利の関係を整理しています。益軒は利そのものを否定しません。義にかなった行いをすれば、人が喜んで協力し、物事がうまく運ぶので、利益は求めなくても自然についてくると言います。問題なのは、最初から利を目的にすることです。顧客のためを第一に誠実な仕事をする会社が、結果として長く繁栄するのと同じ道理です。利益を目的でなく結果として捉えるこの考え方は、のちの石田梅岩や渋沢栄一の商業倫理にも通じる視点といえるでしょう。

この章句が説くこと

義利心術商い誠

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