大和俗訓 / 巻之六・躬行上
一視聽言動は、人の身の四のわざなり。思は又心の動にして、其本なり。善を好み、惡をきらふ事を誠にするは、思をつゝしむの道なり。一善を行ふに、其心に、義と利とのわかちあり。義とは我が行ふべき公の理なり。私なくして、我が爲にせざるなり。わが身のためにするは義にあらず。利とはわが身のためにする私の心なり。公ならざるをいふ。萬の事を行ふに、先義か不義かをかへりみて、義にしたがひ行ふべし。其行ふこと善なりとも、其心義にしたがはずして、わが身の利分のためにせば、是私なり。君に仕ふる一事を以ていはゞ、奉公をよくつとむるは善なり。眞實に忠をなして、わが身を忘るゝは、義を正しくするなり。もし奉公をつとめて、つゆばかりも、君の恩寵を得んためにつとむる心あらば、是利をはかるなり。
新字:一視聴言動は、人の身の四のわざなり。思は又心の動にして、其本なり。善を好み、悪をきらふ事を誠にするは、思をつゝしむの道なり。一善を行ふに、其心に、義と利とのわかちあり。義とは我が行ふべき公の理なり。私なくして、我が為にせざるなり。わが身のためにするは義にあらず。利とはわが身のためにする私の心なり。公ならざるをいふ。万の事を行ふに、先義か不義かをかへりみて、義にしたがひ行ふべし。其行ふこと善なりとも、其心義にしたがはずして、わが身の利分のためにせば、是私なり。君に仕ふる一事を以ていはゞ、奉公をよくつとむるは善なり。真実に忠をなして、わが身を忘るゝは、義を正しくするなり。もし奉公をつとめて、つゆばかりも、君の恩寵を得んためにつとむる心あらば、是利をはかるなり。
書き下し
一視聴言動は、人の身の四のわざなり。思は又心の動にして、其本なり。善を好み、悪をきらふ事を誠にするは、思をつつしむの道なり。一善を行ふに、其心に、義と利とのわかちあり。義とは我が行ふべき公の理なり。私なくして、我が為にせざるなり。わが身のためにするは義にあらず。利とはわが身のためにする私の心なり。公ならざるをいふ。万の事を行ふに、先義か不義かをかへりみて、義にしたがひ行ふべし。其行ふこと善なりとも、其心義にしたがはずして、わが身の利分のためにせば、是私なり。君に仕ふる一事を以ていはば、奉公をよくつとむるは善なり。真実に忠をなして、わが身を忘るるは、義を正しくするなり。もし奉公をつとめて、つゆばかりも、君の恩寵を得んためにつとむる心あらば、是利をはかるなり。
現代語訳
見聴言動は人の身の四つのわざです。思いはまた心の動きで、その本です。善を好み悪を嫌うことを誠にするのは、思いをつつしむ道です。善を行うのに、その心に義と利の区別があります。義とは自分が行うべき公の道理です。私心がなく、自分のためにしないことです。自分の身のためにするのは義ではありません。利とは自分の身のためにする私の心です。公でないことをいいます。あらゆることを行うのに、まず義か不義かをかえりみて、義に従って行いなさい。その行うことが善であっても、その心が義に従わず、自分の身の利益のためにするなら、これは私です。主君に仕えることを例にいえば、奉公をよく努めるのは善です。真実に忠を尽くして自分の身を忘れるのは、義を正しくすることです。もし奉公を努めて、少しでも主君の恩寵を得るために努める心があれば、これは利を図ることです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之四・義一董仲舒曰く、仁人は其の義を正して其の利を謀らず、其の道を明かにして其の功を計らず。利とは義を行ふ自然のしるしなり。故に利は義の和なりといへり。君に仕ふるを以ていはば、朝夕つつしんで君によく仕ふれば、君もよろこびて、我を愛し給ふ。是義の和する処利なり。君子の、君につかへて義を行ふは、唯一すぢに君のためにして、私のためにせず、君の寵愛をねがふ心あるべからず。是義を正して利をはからざる也。君に仕ふるに限らず、万のこと、皆かくの如し。すこしも我がためにする心あるは利なり。義にあらず。此利は、みだりに財禄をむさぼる如くなる利欲にはあらず。仁人の事なれば、利欲は云ふに及ばず。義を行ひて、自から来る自然のしるしを云ふ。其自然のしるしを得んと思ふは利なり。
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『慎思録』巻之六近世の俗儒、名を好み異を立つるを以て心と為す者は、義利公私の弁を知らず、徒に利を言はざるを以て高しと為す。故に大学の所謂国は利を以て利と為さず、義を以て利と為すの言を疑ひて、以て利を言ふの事にして、君子の言に非ずと為す。知らず、利は是れ身を養ひ民を養ひ、国家に無かるべからざるの事、即ち是れ義の和なることを。故に君子も亦利を欲せざるに非ず。蓋し義有りて利自ら来たれば、則ち義に於いて害無し。只義を舎てて利を取り、利の為に義を行ふ者は、不可なり。苟も義を以て主と為せば、則ち利も亦義なり。利を以て主と為せば、則ち義も亦利なり。公私の間に在るのみ。蓋し利は人に施すべくして、己に専らにすべからず。夫子罕に利を言ふは、利を言はざるに非ざるなり。
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段曰く、夫にては汝の為に損なるが、損の往くを喜び、是を義と云ふは如何。答ふ、否、損にあらず、大いに利あり。曰く、忽ちに損の見えたるを、利と云ふは、如何なることぞ。答ふ、孟子も、君子は生を舎てて義を取る者なりとのたまふ。君子は命をすて義を取る。木綿は軽きことなり。仮令一国を得、万金を得るとも、道にたがはば、何ぞ不義を行はん。外物の損を為し、心を養ひて利を得。此の外に勝ること何か有らん。
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