大和俗訓 / 巻之六・躬行上
一善を好み、惡をきらふことの誠なるは、大學の誠意の事にて、身を修め、道を行ふ初なり。善を好み、惡をきらはざれば、道の行はるべきやうなし。學者の最初よりつとむべきこと、是より急なるはなし。善を好むことは、たとへば好き色を好むが如く、惡をきらふ事は、惡しき臭をきらふが如くすべし。是誠に好みきらふなり。諸人のきらふ事多けれど、惡臭ほどいむべき物なし。好むこと多けれど、好色に過ぎたるものなし。是皆諸人の眞實に好みきらふものなれば、善を好み、惡をきらふことも、また如此眞實なるべしとなり。是誠によく人をさとすべき譬なり。もし心の内に、すでに善惡を知れども、好みきらふ事實ならずして、善を行はず、惡を去らざるは、これを自欺と云ふ。自欺とは、わが心の内、實ならざるを云ふ。善を好み、惡をきらふ事、まことならざれば、萬の行みないつはりとなりて、道おこなはるべからず。たとへば草木の根なきが如く、家をつくるにもとゐ無きがごとし。おこなひの本たゝず。こゝを以て、道をおこなはんと思はゞ、先此こゝろざしを立つるを、はじめとすべし。
新字:一善を好み、悪をきらふことの誠なるは、大学の誠意の事にて、身を修め、道を行ふ初なり。善を好み、悪をきらはざれば、道の行はるべきやうなし。学者の最初よりつとむべきこと、是より急なるはなし。善を好むことは、たとへば好き色を好むが如く、悪をきらふ事は、悪しき臭をきらふが如くすべし。是誠に好みきらふなり。諸人のきらふ事多けれど、悪臭ほどいむべき物なし。好むこと多けれど、好色に過ぎたるものなし。是皆諸人の真実に好みきらふものなれば、善を好み、悪をきらふことも、また如此真実なるべしとなり。是誠によく人をさとすべき譬なり。もし心の内に、すでに善悪を知れども、好みきらふ事実ならずして、善を行はず、悪を去らざるは、これを自欺と云ふ。自欺とは、わが心の内、実ならざるを云ふ。善を好み、悪をきらふ事、まことならざれば、万の行みないつはりとなりて、道おこなはるべからず。たとへば草木の根なきが如く、家をつくるにもとゐ無きがごとし。おこなひの本たゝず。こゝを以て、道をおこなはんと思はゞ、先此こゝろざしを立つるを、はじめとすべし。
書き下し
一善を好み、悪をきらふことの誠なるは、大学の誠意の事にて、身を修め、道を行ふ初なり。善を好み、悪をきらはざれば、道の行はるべきやうなし。学者の最初よりつとむべきこと、是より急なるはなし。善を好むことは、たとへば好き色を好むが如く、悪をきらふ事は、悪しき臭をきらふが如くすべし。是誠に好みきらふなり。諸人のきらふ事多けれど、悪臭ほどいむべき物なし。好むこと多けれど、好色に過ぎたるものなし。是皆諸人の真実に好みきらふものなれば、善を好み、悪をきらふことも、また如此真実なるべしとなり。是誠によく人をさとすべき譬なり。もし心の内に、すでに善悪を知れども、好みきらふ事実ならずして、善を行はず、悪を去らざるは、これを自欺と云ふ。自欺とは、わが心の内、実ならざるを云ふ。善を好み、悪をきらふ事、まことならざれば、万の行みないつはりとなりて、道おこなはるべからず。たとへば草木の根なきが如く、家をつくるにもとゐ無きがごとし。おこなひの本たたず。ここを以て、道をおこなはんと思はば、先此こころざしを立つるを、はじめとすべし。
現代語訳
善を好み悪を嫌うことが誠であるのは、『大学』の誠意のことで、身を修め道を行う初めです。善を好み悪を嫌わなければ、道が行われるはずがありません。学ぶ者が最初から努めるべきことで、これより急なものはありません。善を好むことは、たとえば美しい色を好むように、悪を嫌うことは、悪い臭いを嫌うようにしなさい。これがまことに好み嫌うということです。多くの人の嫌うことは多いけれど、悪臭ほど忌むべきものはありません。好むことは多いけれど、好色に過ぎるものはありません。これはみな多くの人が真実に好み嫌うものなので、善を好み悪を嫌うことも、またこのように真実であるべきだ、ということです。これはまことによく人を諭すたとえです。もし心の内で、すでに善悪を知っていても、好み嫌うことが真実でなくて、善を行わず悪を去らないのは、これを自ら欺くといいます。自ら欺くとは、自分の心の内が真実でないことをいいます。善を好み悪を嫌うことが誠でなければ、すべての行いはみな偽りとなって、道は行われません。たとえば草木に根がなく、家を建てるのに土台がないようなものです。行いの本が立ちません。ですから道を行おうと思うなら、まずこの志を立てることを始めとしなさい。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」
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史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
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論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
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史記 刺客列伝高漸離名姓を変じて人の庸保と為り、宋子に匿れ作す。之を久しくして、作苦しく、其の家の堂上に客の筑を撃つを聞き、傍偟して去る能はず。毎に言を出だして曰く、「彼に善有り善ならざる有り」と。従者以て其の主に告げて曰く、「彼の庸は乃ち音を知り、竊かに是非を言ふ」と。家の丈人召して前に筑を撃たしむ。一坐善しと称し、酒を賜ふ。而して高漸離、久しく隠れて畏約すること窮まる時無きを念ひ、乃ち退きて、其の装匣の中の筑と其の善衣とを出だし、容貌を更めて前む。坐を挙げて客皆驚き、下りて与に抗礼し、以て上客と為す。筑を撃ちて歌はしむ。客流涕して去らざる者無し。宋子伝へて之を客とし、秦の始皇に聞こゆ。秦の始皇召し見る。人識る者有りて、乃ち曰く、「高漸離なり」と。秦の皇帝其の善く筑を撃つを惜しみ、重ねて之を赦し、乃ち其の目を矐す。筑を撃たしむるに、未だ嘗て善しと称せずんばあらず。稍く益々之に近づく。高漸離乃ち鉛を以て筑の中に置き、復た進みて近づくを得、筑を挙げて秦の皇帝を樸つ。中らず。是に於て遂に高漸離を誅し、身を終ふるまで復た諸侯の人に近づかず。魯句践已に荊軻の秦王を刺せしを聞き、私かに曰く、「嗟乎、惜しいかな其の刺剣の術を講ぜざりしや。甚だしいかな吾の人を知らざるや。曩者吾之を叱す。彼乃ち我を以て人に非ずと為せしならん」と。太史公曰く、世に荊軻を言ふに、其の太子丹の命を称して、「天粟を雨らし、馬角を生ず」とするや、太だ過ぎたり。又荊軻秦王を傷つくと言ふも、皆非なり。始め公孫季功・董生、夏無且と游び、具に其の事を知り、余の為に之を道ふこと是の如し。曹沫より荊軻に至るまで五人、此れ其の義或いは成り或いは成らず。然れども其の意を立つること較然として、其の志を欺かず、名後世に垂る。豈に妄ならんや。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「名を好むの人は、能く千乘の國を讓る。苟くも其の人に非ざれば、簞食豆羹も色に見わる。」
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