大和俗訓 / 巻之五・言語
一易曰、納約自牖。まどは明なる所なり。たとへば家の內にある人に、外より物を言入るゝに、壁越にいへば聞えず。牖よりいへば聞ゆ。諫を言ふも、亦かくの如し。いかなる愚なる人も、必いづくにぞ、片はしに道理開けて、明なる所あり。或は好む所の欲あり。其所をよく見つけて言入るれば、聞入れやすし。此諫めやうのよきことなり。古もさるためし多し。ふさがりたる處を知らずして、いかに忠をつくして諫むとも、聞用ひざれば益なし。
新字:一易曰、納約自牖。まどは明なる所なり。たとへば家の内にある人に、外より物を言入るゝに、壁越にいへば聞えず。牖よりいへば聞ゆ。諫を言ふも、亦かくの如し。いかなる愚なる人も、必いづくにぞ、片はしに道理開けて、明なる所あり。或は好む所の欲あり。其所をよく見つけて言入るれば、聞入れやすし。此諫めやうのよきことなり。古もさるためし多し。ふさがりたる処を知らずして、いかに忠をつくして諫むとも、聞用ひざれば益なし。
書き下し
一易曰く、約を納るるに牖よりす。まどは明なる所なり。たとへば家の内にある人に、外より物を言入るるに、壁越にいへば聞えず。牖よりいへば聞ゆ。諫を言ふも、亦かくの如し。いかなる愚なる人も、必いづくにぞ、片はしに道理開けて、明なる所あり。或は好む所の欲あり。其所をよく見つけて言入るれば、聞入れやすし。此諫めやうのよきことなり。古もさるためし多し。ふさがりたる処を知らずして、いかに忠をつくして諫むとも、聞用ひざれば益なし。
現代語訳
『易』に「約を納るるに牖(まど)よりす」とあります。窓は明るいところです。たとえば家の中にいる人に、外から物を言い入れるとき、壁越しに言えば聞こえません。窓から言えば聞こえます。諫めを言うのもまたこのようです。どんな愚かな人でも、必ずどこかに、片隅に道理が開けて明るいところがあります。あるいは好むところの欲があります。そこをよく見つけて言い入れれば、聞き入れやすいのです。これが諫め方のよいところです。昔もそうした例は多い。ふさがっているところを知らずに、どれほど忠を尽くして諫めても、聞き入れなければ益はありません。
解説
この章句が説くこと
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