大和俗訓 / 巻之四・心術下
一いにしへより無道の人、其惡行まことに一事にとゞまらず、その品多し。されども其内、人のいさめをふせぎ怒るより大なる惡なしと、古人いへり。からやまと、昔より、人の行あしくて、身をうしなひ、家をほろぼすも、皆諫をふせぐよりおこれり。深くいましむべし。
新字:一いにしへより無道の人、其悪行まことに一事にとゞまらず、その品多し。されども其内、人のいさめをふせぎ怒るより大なる悪なしと、古人いへり。からやまと、昔より、人の行あしくて、身をうしなひ、家をほろぼすも、皆諫をふせぐよりおこれり。深くいましむべし。
書き下し
一いにしへより無道の人、其悪行まことに一事にとどまらず、その品多し。されども其内、人のいさめをふせぎ怒るより大なる悪なしと、古人いへり。からやまと、昔より、人の行あしくて、身をうしなひ、家をほろぼすも、皆諫をふせぐよりおこれり。深くいましむべし。
現代語訳
昔から無道の人は、その悪行がまことに一つにとどまらず、その種類は多いものです。けれどもそのなかで、人の諫めを拒み怒ることより大きな悪はないと、古人は言いました。中国でも日本でも、昔から、人の行いが悪くて身を失い、家をほろぼすのも、みな諫めを拒むことから起こりました。深く戒めなさい。
解説
数ある悪行のなかでも、人の忠告を拒んで怒ることが最も大きな悪だという教えです。ほかの過ちは忠告によって正す道が残りますが、忠告そのものを拒めば、改める機会がすべて失われてしまうからです。益軒は、中国と日本の歴史を通じて、身を失い家をほろぼした例はみなここから始まったと述べます。組織でも、耳の痛い意見を言う人を遠ざけたリーダーが判断を誤る例は数多くあります。忠告を受け入れる度量こそが、あらゆる失敗を防ぐ最後の砦なのです。
この章句が説くこと
諫め忠告悪家度量
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