大和俗訓 / 巻之四・心術下
一子曰、不患人之不己知、患不知人也。人の我を知らざるは、人の愚なるなり。我がとがにはあらず、憂とすべからず。人の善惡を知らざるは、我が愚なるなり。自らはづべし。又我がよき事を人に知られんと求むるは、小人の心なり。賤むべし。
新字:一子曰、不患人之不己知、患不知人也。人の我を知らざるは、人の愚なるなり。我がとがにはあらず、憂とすべからず。人の善悪を知らざるは、我が愚なるなり。自らはづべし。又我がよき事を人に知られんと求むるは、小人の心なり。賤むべし。
書き下し
一子曰く、人の己を知らざるを患へず、人を知らざるを患ふるなり。人の我を知らざるは、人の愚なるなり。我がとがにはあらず、憂とすべからず。人の善悪を知らざるは、我が愚なるなり。自らはづべし。又我がよき事を人に知られんと求むるは、小人の心なり。賤むべし。
現代語訳
孔子が言いました。「人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う」。人が自分を知らないのは、人が愚かなのです。自分のとがではないので、憂えることはありません。人の善悪を知らないのは、自分が愚かなのです。自ら恥じるべきです。また自分のよいところを人に知られようと求めるのは、小人の心です。いやしむべきです。
解説
『論語』学而篇の結びの言葉を引いた一条です。自分が認められないことを嘆くより、自分が人を正しく見られていないことを心配せよという教えです。益軒は、認められないのは相手の問題なので憂えるに足りないが、人を見る目がないのは自分の恥だと、責任の所在をはっきり分けています。評価されたい、注目されたいという気持ちは誰にでもありますが、それを求めすぎると心が乱れます。まず人をよく見る力を磨くことが、結局は信頼を得る近道になるでしょう。
この章句が説くこと
論語評価知人小人謙虚
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