大和俗訓 / 巻之五・言語
一我が身をほめざれども、わがよきも惡しきも、人の心に知るものなり。たとひ我が才行あらはれずして、人知らずとも、わが身の德に害なし。わが身の才能いみじくとも、みづからあらはし譽むるは、自ら媒すと云ふ。いやしむべし。其不德の程あらはれて、むげに人に見おとさるゝわざなり。
新字:一我が身をほめざれども、わがよきも悪しきも、人の心に知るものなり。たとひ我が才行あらはれずして、人知らずとも、わが身の徳に害なし。わが身の才能いみじくとも、みづからあらはし誉むるは、自ら媒すと云ふ。いやしむべし。其不徳の程あらはれて、むげに人に見おとさるゝわざなり。
書き下し
一我が身をほめざれども、わがよきも悪しきも、人の心に知るものなり。たとひ我が才行あらはれずして、人知らずとも、わが身の徳に害なし。わが身の才能いみじくとも、みづからあらはし誉むるは、自ら媒すと云ふ。いやしむべし。其不徳の程あらはれて、むげに人に見おとさるるわざなり。
現代語訳
自分をほめなくても、自分のよいところも悪いところも、人は心で知っているものです。たとえ自分の才能や行いが現れず、人が知らなくても、自分の徳に害はありません。自分の才能がすぐれていても、自らあらわしてほめるのは、自ら媒酌すると言います。いやしむべきです。その不徳のほどが現れて、ひどく人に見下されることです。
解説
自画自賛を「自ら媒す」、つまり自分で自分の仲人をするようなものだと戒めています。縁談を自分で売り込む見苦しさにたとえたわけです。人は言われなくても相手の良し悪しを見ているので、自分でほめる必要はなく、認められなくても徳が損なわれるわけではないと益軒は言います。自己アピールが求められる今の時代でも、実績は自分で誇るより周りに語ってもらうほうが説得力を持ちます。見る人は見ているという信頼が、心の落ち着きにもつながります。
この章句が説くこと
謙虚自慢徳評価品格
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