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大和俗訓 / 巻之四・心術下

一人の身のわざはひある事、多くは私欲よりおこる。私欲を恣にせざれば、わざはひなし。凡人のわざはひは、思はざるに、不幸にして、天よりたまたま降るは稀なり。もしあれども、事によつて遁れやすし。私欲を行ひ、罪ををかして、自らなせるわざはひは、天よりくだる禍より多くして、遁れがたし。それわが身を利せんとすれば必人に妨あり。人を妨げたるむくいは、必わが身の害となる。人を妨げて、たとひ一日幸にして利を得、人のせめを免るゝといへども、必天のせめ身にむくいて、わざはひ來る。凡とがを犯して公につみせらるゝは、目に見えて明なり。天のせめは、目に見えずして、いつとなく降れるゆゑ、人知らず。其わざはひ來れば、唯不意にふり來るやうに思ふは、ひが事なり。

新字:一人の身のわざはひある事、多くは私欲よりおこる。私欲を恣にせざれば、わざはひなし。凡人のわざはひは、思はざるに、不幸にして、天よりたまたま降るは稀なり。もしあれども、事によつて遁れやすし。私欲を行ひ、罪ををかして、自らなせるわざはひは、天よりくだる禍より多くして、遁れがたし。それわが身を利せんとすれば必人に妨あり。人を妨げたるむくいは、必わが身の害となる。人を妨げて、たとひ一日幸にして利を得、人のせめを免るゝといへども、必天のせめ身にむくいて、わざはひ来る。凡とがを犯して公につみせらるゝは、目に見えて明なり。天のせめは、目に見えずして、いつとなく降れるゆゑ、人知らず。其わざはひ来れば、唯不意にふり来るやうに思ふは、ひが事なり。

書き下し

一人の身のわざはひある事、多くは私欲よりおこる。私欲を恣にせざれば、わざはひなし。凡人のわざはひは、思はざるに、不幸にして、天よりたまたま降るは稀なり。もしあれども、事によつて遁れやすし。私欲を行ひ、罪ををかして、自らなせるわざはひは、天よりくだる禍より多くして、遁れがたし。それわが身を利せんとすれば必人に妨あり。人を妨げたるむくいは、必わが身の害となる。人を妨げて、たとひ一日幸にして利を得、人のせめを免るるといへども、必天のせめ身にむくいて、わざはひ来る。凡とがを犯して公につみせらるるは、目に見えて明なり。天のせめは、目に見えずして、いつとなく降れるゆゑ、人知らず。其わざはひ来れば、唯不意にふり来るやうに思ふは、ひが事なり。

現代語訳

人の身に災いがあるのは、多くは私欲から起こります。私欲をほしいままにしなければ、災いはありません。およそ人の災いは、思いがけず不幸にして天からたまたま降ってくるものはまれです。もしあっても、事によっては逃れやすいものです。私欲を行い、罪を犯して自ら招いた災いは、天から下る禍よりも多く、逃れがたいのです。自分の身の利益を図ろうとすれば、必ず人の妨げになります。人を妨げた報いは、必ず自分の身の害となります。人を妨げて、たとえ一日は幸いに利益を得て、人の責めを免れたとしても、必ず天の責めが身に報いて災いが来ます。およそ罪を犯して公に罰せられるのは、目に見えて明らかです。天の責めは目に見えず、いつとはなしに降ってくるので、人は知りません。その災いが来ると、ただ不意に降ってきたように思うのは間違いです。

解説

頭注が示すように、『書経』太甲篇の「天の作せる孽は猶違くべし、自ら作せる孽は逭るべからず」と同じ思想です。益軒は、人の災いのほとんどは天災ではなく自分の私欲が招いたものだと言います。しかも自分で作った災いは避けにくいのです。天の責めは目に見えないので、報いが来たとき人は「突然の不運」と思い込みますが、実は原因は自分にあるというのです。うまくいかないことが続くとき、運のせいにする前に自分の欲や行いを振り返る視点を与えてくれます。

この章句が説くこと

私欲災い天報い自省

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