囲炉夜話 / 第百五十二則・天未だ嘗て我に負かず
身不饑寒,天未嘗負我。學無長進,我何以對天?
新字:身不饑寒,天未嘗負我。学無長進,我何以対天?
書き下し
身饑寒せざれば、天未だ嘗て我に負かず。學に長進無くんば、我何を以てか天に對へん。
現代語訳
飢えも凍えもせずにいられるなら、天は一度も私を裏切ってはいません。それなのに学問に進歩がなければ、私はどうやって天に顔向けできるでしょうか。
解説
天への感謝と自分への責めを一対にした句です。上の句は、飢えず凍えずに暮らせるだけで、天はもう十分に自分に報いてくれていると見ます。負くとは、期待を裏切る、借りを返さないという意味です。下の句はその裏返しで、恵まれていながら学問が伸びないなら、今度は自分が天に借りを作っていることになると言います。不満を天や境遇に向けるのではなく、与えられたものに見合う努力をしているかを自分に問う姿勢です。衣食に困らない今の暮らしを当たり前と思わず、その余裕を何に使っているかを振り返るきっかけになります。
この章句が説くこと
感謝学問修身天自省
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